爪先からムスク、指先からフィトンチッド
自分の指先のフィトンチッドを感じるのは芳香だけなのだと納得して、ルームフレグランスの完成に向かうことにした。


16 デート・1
お互いに長い労働時間のおかげでゆっくり会うのは薫樹のマンションで週末だけであったが、芳香の勤める園芸ショップがスーパーの棚卸のため二連休になり、それに合わせて薫樹が有給休暇をとり、外でデートをすることにした。
どこか行きたいところはあるかと尋ねられていた芳香は少し遠いがハーブ園と答えた。
タクシーで行こうとする薫樹を芳香は慌てて引き留める。
「ここからだと2時間近くかかるし、すっごいお金かかっちゃいますってば!」
「そうなのか? 公共機関を使うと仕事の電話が困るものだから僕は移動をタクシーにしてるんだ」
「はあ、なるほど。今日もお仕事の電話きたりします?」
「うーん。たぶんないだろうけどね」
公共機関を使わない理由をお金持ちの贅沢だと思っていたが、仕事のためなのだと芳香は納得した。しかし往復4時間近くの交通費は一ヶ月の食費になってしまうことを考えるとやはり賛成しかねる。たとえ薫樹が支払うと言ってくれていてもだ。
「レンタカー借りませんか? 融通きくし」
「レンタカー? 僕は免許持ってないよ」
「あ、そうですか。私、持ってます。今は車持ってないですけど、仕事でも良く乗ってますよ。鉢植えとか苗を運んだりするから」
「ほう。しかし何時間も平気なのか?」
「全然、平気ですよ。運転好きだし」
「ふ、む。じゃあ、芳香の運転でいこう。ゆっくり行っても昼には着くだろう」
「はいっ。楽しみですね。車なに借りようかな。薫樹さんって好みありますか?」
「なんでもいいよ。君の好きな車で」
「そうですか。じゃエコカー借りようかな。低燃費だし」
「ふむ。君はしっかり者だな」
芳香は恥じらいながらも嬉しそうにはにかんだ。こうして二人で少し長い距離をデートすることになった。

街中を30分も走らせると建物もまばらになり自然の景色が増えてきた。少し窓を開け風を入れると気持ちよさそうに薫樹が目を細める。
「芳香は運転が上手いな」
「んー、慣れですかね。うち、実家がこれくらいの田舎なので車必須なんですよ。免許とったらよく運転させられて」
「ふーむ。君はなんでも出来るんだな」
「え? なんでもって」
「出来ないことがないだろう。僕は調香する以外何も得手がないからね」
「えっ、そ、そんな。こんなの普通にみんなできることで、薫樹さんは誰にもできないこと出来てるんだから、全然違いますよ」
「フッ、謙虚だな」
「え、け、謙虚というわけじゃ……」
誰しもあこがれの的である薫樹に褒められ、芳香は戸惑うが本心からの肯定に嬉しくもある。
そして初めて助手席に乗る恋人の端正な横顔を眺め、恋愛中の喜びを噛みしめるのだった。


17 デート・2
ハーブ園に到着し、車から降りると風に乗ってラベンダーの香りが二人を出迎える。
空は高く青く広々として、空気も時間もゆっくりしているようだ。
「あー、気持ちいいー」
「うん、いいところだな」
並んで庭園をゆったり歩く。ラベンダーは一斉に紫の花を咲かせそよ風に揺れ、香りを漂わせている。普段、店で見慣れているハーブではあるが、広々とした場所に太陽の下で群をなす姿に芳香は圧倒される。
「ああ、カモミールも可愛いんだあ」
小さな白い花々の前にかがみこみ芳香は胸いっぱいに香りを吸い込む。
子犬のように駆け回りはしゃぐ彼女を薫樹は微笑ましく眺める。
「いいなあー。私、こんなにハーブが好きになるなんて思わなかったです」
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