爪先からムスク、指先からフィトンチッド
薫樹の話を聞かず、野島美月はきょろきょろ研究室を眺める。今、研究開発部は一つのプロジェクトを終えたところで、薫樹以外の開発スタッフは長期休暇中だった。
ボディシートの売れ行きが良く、会社は野島美月を優遇しているため、このように社内をぶらつくことを戒めるものが誰もいないのだ。
「ここでいろんな香りを作るんですねえー」
「うん、そうだ」
「ねえねえ、兵部さん。今度二人でどっか遊びに行きません?」
「ん? なぜ君と二人で行くんだ」
「もっと、ワタシのこと知って欲しいんです。仕事じゃなくて」
美月は薫樹をまだ諦めていなかったようだ。しばらく動きがなかったのですっかり薫樹は美月のことを忘れていた。
「僕には芳香がいるのを知っているだろう? 悪いが君を知る理由がない」
ぷうっと膨れながらも美月は食い下がる。
「別に、彼女と別れて、ワタシと付き合ってって言ってるんじゃありません。薫樹さんが好きなのでそばに居たいだけなんですぅー」
森の妖精の姿からコケットリーなフランス人形に変わって迫ってくる。
「簡単に好きだというが、君は僕のどこが好きなんだ?」
「えっとぉー、カッコよくてー、頭が良くて、とっても素敵です」
「格好良くて頭がいい男なんかいくらでもいるだろう」
「違うんですっ。兵部さんは、なんていうかワタシの周りにはいないタイプでぇ」
「周りにいないタイプか――」
「そうです、そうなんです。トクベツなんです」
「うーん。それはただ新鮮なだけじゃないだろうか。僕みたいなタイプは案外多いよ。大学時代、みんな僕と似たような感じだったしね」
「えー。だって兵部さんの彼女だって、他にない香りの持ち主なんでしょ?おんなじじゃないですかあ」
「確かに彼女の匂いは特別だった。だけど中身はごく平凡だと思う。彼女の香りには抗えない魅力があるがもし違う性格だったなら彼女自身を好きになっていないだろう。顔立ちの話をすれば、君の方が随分と美人だ。芳香は――地味で辛抱強そうな犬――みたいだな。プッ、フッ」
薫樹は嬉しそうに思い出し笑いをする。
「え? デレてる――のか、な……。ちょ、ちょっとイメージ狂ってきたかも……」
クールで大人っぽく紳士な薫樹がニヤニヤしているのを見ると美月の気持ちがいきなり冷めた。
「この前作ってくれたバジルのパスタは薫り高くてとても美味しかったな。わざわざパルミジャーノ・レッジャーノの塊をスライサーでスライスしてのせたんだ。粉チーズを買わないところを見ると案外、食にこだわりがあるのかもしれないな」
「はい? パスタ?」
「ああ、彼女は和食の方が得意みたいだな。薄味でね。だけどちゃんとだしをとっているんだ。野菜が中心で身体にも良さそうだよ」
「えっとぉ、なんか――わかりました。なんか違うなーって。しばらくお仕事頑張ることにします」
「ん? ああ、そう? それがいいよ。君にはもっと活躍の場がありそうだし、人気も出るだろう」
「あ、ありがとうございます」
今まで美月に迫られていたことなどすっかり忘れた様子の薫樹に、きもちの冷めた美月は呆気にとられるばかりだった。
「じゃー、この辺でぇ」
「あ、そうだ。ちょっと僕の指先を嗅いでもらえないか?」
「え? 匂うんですか?」
「うん」
美月の目の前に薫樹は白く骨ばった指先を差し出す。首をかしげながら美月は恐る恐る匂いをスンスン嗅ぐ。
「どうかな、何か匂いがするかな」
「うーん、別になんにも」
「そうか、ありがとう」
「はーい、失礼しましたあ」
何の未練もない様子で美月が立ち去った後、薫樹は自分の指先を眺めた。
「なるほど」
ボディシートの売れ行きが良く、会社は野島美月を優遇しているため、このように社内をぶらつくことを戒めるものが誰もいないのだ。
「ここでいろんな香りを作るんですねえー」
「うん、そうだ」
「ねえねえ、兵部さん。今度二人でどっか遊びに行きません?」
「ん? なぜ君と二人で行くんだ」
「もっと、ワタシのこと知って欲しいんです。仕事じゃなくて」
美月は薫樹をまだ諦めていなかったようだ。しばらく動きがなかったのですっかり薫樹は美月のことを忘れていた。
「僕には芳香がいるのを知っているだろう? 悪いが君を知る理由がない」
ぷうっと膨れながらも美月は食い下がる。
「別に、彼女と別れて、ワタシと付き合ってって言ってるんじゃありません。薫樹さんが好きなのでそばに居たいだけなんですぅー」
森の妖精の姿からコケットリーなフランス人形に変わって迫ってくる。
「簡単に好きだというが、君は僕のどこが好きなんだ?」
「えっとぉー、カッコよくてー、頭が良くて、とっても素敵です」
「格好良くて頭がいい男なんかいくらでもいるだろう」
「違うんですっ。兵部さんは、なんていうかワタシの周りにはいないタイプでぇ」
「周りにいないタイプか――」
「そうです、そうなんです。トクベツなんです」
「うーん。それはただ新鮮なだけじゃないだろうか。僕みたいなタイプは案外多いよ。大学時代、みんな僕と似たような感じだったしね」
「えー。だって兵部さんの彼女だって、他にない香りの持ち主なんでしょ?おんなじじゃないですかあ」
「確かに彼女の匂いは特別だった。だけど中身はごく平凡だと思う。彼女の香りには抗えない魅力があるがもし違う性格だったなら彼女自身を好きになっていないだろう。顔立ちの話をすれば、君の方が随分と美人だ。芳香は――地味で辛抱強そうな犬――みたいだな。プッ、フッ」
薫樹は嬉しそうに思い出し笑いをする。
「え? デレてる――のか、な……。ちょ、ちょっとイメージ狂ってきたかも……」
クールで大人っぽく紳士な薫樹がニヤニヤしているのを見ると美月の気持ちがいきなり冷めた。
「この前作ってくれたバジルのパスタは薫り高くてとても美味しかったな。わざわざパルミジャーノ・レッジャーノの塊をスライサーでスライスしてのせたんだ。粉チーズを買わないところを見ると案外、食にこだわりがあるのかもしれないな」
「はい? パスタ?」
「ああ、彼女は和食の方が得意みたいだな。薄味でね。だけどちゃんとだしをとっているんだ。野菜が中心で身体にも良さそうだよ」
「えっとぉ、なんか――わかりました。なんか違うなーって。しばらくお仕事頑張ることにします」
「ん? ああ、そう? それがいいよ。君にはもっと活躍の場がありそうだし、人気も出るだろう」
「あ、ありがとうございます」
今まで美月に迫られていたことなどすっかり忘れた様子の薫樹に、きもちの冷めた美月は呆気にとられるばかりだった。
「じゃー、この辺でぇ」
「あ、そうだ。ちょっと僕の指先を嗅いでもらえないか?」
「え? 匂うんですか?」
「うん」
美月の目の前に薫樹は白く骨ばった指先を差し出す。首をかしげながら美月は恐る恐る匂いをスンスン嗅ぐ。
「どうかな、何か匂いがするかな」
「うーん、別になんにも」
「そうか、ありがとう」
「はーい、失礼しましたあ」
何の未練もない様子で美月が立ち去った後、薫樹は自分の指先を眺めた。
「なるほど」