爪先からムスク、指先からフィトンチッド
「えっ!? いつ?」
「去年。もう高齢だったし、いつでもおかしくないって思ってたけど」
「そうか……。残念だ。調香界の王が……」
「それで、私ももうフランスにもいる意味がないし、モデルにも飽きたから日本で適当に過ごそうと思ってた時に『銀華堂化粧品』からこの話が来たのよ。ジャンもいないし、もう落ち目の私には断る理由がなかったから」
「……」
「今回の香水の名前『KOMACHI=小町』ですってね。私に本当に合ってるのかしらね」
「君は小町というよりも楊貴妃というイメージだからかなり僕にとっても違うんだが、まあ善処するつもりだ」
「ふふん。ジャンが最後に私のために作ったパフュームがまさに『KIHI=貴妃』よ。今、身に着けてるわ」
1メートル離れて話していた二人の距離をスッと縮めて環が薫樹の懐に入る。
「むっ、これは!」
「どう?」
「素晴らしい。ちょっとこっちに来てくれないか」
薫樹は環に庭へ出るように促す。
二人が会場を後にするのを涼介と真菜だけが気づいていた。
8 楊貴妃の香り
木の陰ですんなりとした肢体の環を、薫樹は上から下まで一瞥し、彼女の首筋に鼻先を添わせ、やがて胸元、二の腕、から指先までたどる。
「素晴らしいな。これは名香中の名香だ。彼はどうしてこれを商品化しなかったのだろう。このパフュームを発表すればまたトップに躍り出でただろうに」
「そんなにいいの? 実は未完成だったの。私が着けて初めてこの香りになるのよ。ベースはこちら」
環はゴールドのパーティバッグから小さなアトマイザーを取り出す。
「嗅いでもいいかな」
「ええ」
薫樹はスーツの中から手帳を取り出して白紙の部分を少し破り取り、環の香水をかけた。そしてゆっくりと鼻先に近づける。
「ふーむ。このままでも素晴らしいが、確かに、何か足りない。君の体臭と混じることで完成度が高くなっているようだ」
「ジャンは楊貴妃の香りを再現したかったみたいよ」
「なるほど。ジャンも君のイメージを小野小町でなく楊貴妃ととらえたわけだ」
濃厚でセクシーな名香を前に薫樹は興味を隠せない。
「もっと近くで嗅いでもいいわよ」
月光に照らされた環の冷たい笑顔と香りが薫樹の思考を停止させる。思わず手を伸ばしかけたとき、ガサガサと茂みから音がしてするっと涼介が現れた。
「去年。もう高齢だったし、いつでもおかしくないって思ってたけど」
「そうか……。残念だ。調香界の王が……」
「それで、私ももうフランスにもいる意味がないし、モデルにも飽きたから日本で適当に過ごそうと思ってた時に『銀華堂化粧品』からこの話が来たのよ。ジャンもいないし、もう落ち目の私には断る理由がなかったから」
「……」
「今回の香水の名前『KOMACHI=小町』ですってね。私に本当に合ってるのかしらね」
「君は小町というよりも楊貴妃というイメージだからかなり僕にとっても違うんだが、まあ善処するつもりだ」
「ふふん。ジャンが最後に私のために作ったパフュームがまさに『KIHI=貴妃』よ。今、身に着けてるわ」
1メートル離れて話していた二人の距離をスッと縮めて環が薫樹の懐に入る。
「むっ、これは!」
「どう?」
「素晴らしい。ちょっとこっちに来てくれないか」
薫樹は環に庭へ出るように促す。
二人が会場を後にするのを涼介と真菜だけが気づいていた。
8 楊貴妃の香り
木の陰ですんなりとした肢体の環を、薫樹は上から下まで一瞥し、彼女の首筋に鼻先を添わせ、やがて胸元、二の腕、から指先までたどる。
「素晴らしいな。これは名香中の名香だ。彼はどうしてこれを商品化しなかったのだろう。このパフュームを発表すればまたトップに躍り出でただろうに」
「そんなにいいの? 実は未完成だったの。私が着けて初めてこの香りになるのよ。ベースはこちら」
環はゴールドのパーティバッグから小さなアトマイザーを取り出す。
「嗅いでもいいかな」
「ええ」
薫樹はスーツの中から手帳を取り出して白紙の部分を少し破り取り、環の香水をかけた。そしてゆっくりと鼻先に近づける。
「ふーむ。このままでも素晴らしいが、確かに、何か足りない。君の体臭と混じることで完成度が高くなっているようだ」
「ジャンは楊貴妃の香りを再現したかったみたいよ」
「なるほど。ジャンも君のイメージを小野小町でなく楊貴妃ととらえたわけだ」
濃厚でセクシーな名香を前に薫樹は興味を隠せない。
「もっと近くで嗅いでもいいわよ」
月光に照らされた環の冷たい笑顔と香りが薫樹の思考を停止させる。思わず手を伸ばしかけたとき、ガサガサと茂みから音がしてするっと涼介が現れた。