爪先からムスク、指先からフィトンチッド
「ただいま。ああ、薫樹、ついていたのか。歩くのが早いな」
「おかえり、兄さん。お久しぶりです。義姉さん」
「こんにちは。薫樹さん」
透哉は視線を芳香に向け微笑む。彼は母親似らしく、丸顔で童顔だ。愛嬌の良さそうな笑顔で透き通るような声をしている。妻の鈴音も小柄でふっくらとしているがぱっちりとした目がより可愛らしく若々しい。
「紹介するよ。柏木芳香さん。結婚しようと思っている」
「初めまして。よろしくお願いいたします」
芳香はまた慌てて頭を下げると、兄夫婦は気さくな様子で「こちらこそー、薫樹をよろしくね」と歌うように言う。
薫樹が透哉は調律師だが鈴音は民謡教室の先生だと紹介してくれた。なるほど透哉はスーツだが鈴音は和服で彼女の声は優しく耳に心地よい。

鈴音が持っていた保冷バッグを開き、「これ、お土産です。生徒さんがくれたものですけど多かったのでー」と豚肉の塊を取り出した。
瑞恵が「あらっ! これはいいものね。よかったあー」と手を叩く。
「どうしたんです? お義母さん」
鈴音がのん気な声を出すと瑞恵は気まずい表情をしながら言い訳する。
「うっかりしてて、お料理の用意何もしてなかったのよ。本当は薫樹と芳香さんのために腕を振るう予定だったんだけど……」
「えっ? お義母さんが作るんですか?」
「ええ、そうよ」
鈴音の複雑な表情を見かねて、透哉が瑞恵に尋ねる。
「母さんは何を作ろうと思ってたんです?」
「そりゃあ、うどんを打とうかと。あとお庭の野菜で何か創作するわよ?」
「うーん。うどんか……」
愛嬌のある顔立ちの透哉が難しそうな顔になった。父親の絹紫郎は腰を抑えながらリラックスした様子でいつの間にか寝ころんでいる。
事情が呑み込めない芳香に薫樹は説明を始める。
「すまない。芳香。うちはこういうことが不得手なんだ。母は……あまり家事が得意ではなくてね……」
「ああ、そうなんですかあ。でも、おうどんを打ってくださるって」
「うむ。唯一上手な料理だ」
薫樹の話に絹紫郎が加わる。
「母さんのうどんはのど越しが最高だからなあ。あれを食べるとほかの麺は食べられないだろう」
満足そうに言う絹紫郎に透哉は同意しながらも意見を述べる。
「確かにそうですけど、薫樹の結婚相手が初めてきたんですよ? 普通はうどんじゃないでしょー」
「ん? 鈴音さんが来たときってうどんじゃなかったっけ?」
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