秘め事は社長室で
ひび割れた爪先が頬に触れそうになった瞬間、悪寒が背筋を走り、反射的に避けてしまった。
目の前で濁った瞳が大きく見開き、しまった、と思うもののもう取り繕えない。さすがにバツが悪くなって目を逸らすも、私はひとつため息をついて、諭すように話し掛けた。
「……ごめん。でも、ほら、分かったでしょう? 私、友達に戻るとかそういうのも、出来ないよ?」
「…………で……れは、こんなに………」
「え?」
俯いた健がどんな表情を浮かべているのかは分からない。
何ごとかを呟いたがそれも聴き取れず、聞き返すが返事はなかった。
居心地の悪い空気が二人の間に流れる。
このまま放置して帰ってもいいかな。流石にまずいかな。そう考えながらも身体は素直で、無意識のうちに息を潜めながら、アスファルトを擦るように少しずつ足が後退していく。
一歩、二歩。少しずつ離れていき、しかしそう上手くはいかなかった。
「ねえ」
「ひっ……」
逃げることに集中しすぎて、健が手を伸ばしたことに気が付かず、加減無く腕を掴まれ、咄嗟に悲鳴を上げてしまう。
反射的に抜け出そうと腕を引けば、骨が軋むほどの力で握られた。
「ちょっと、やめ……!」
「男だろ」
ふらふらと健の頭が上がる。
傷んだ髪の隙間から覗いた瞳は、一切の光を失っていた。
「男ができたんだろ。あの男だろ。あの男がお前を誑かしたんだろ!!」
低い声で私を責めた健が、次の瞬間には頭を振り乱して獣のように唸る。
健の行動も言動も予測がつかなくて、正直足が竦むほど怖かったが、これだけは言わなければと健を睨んだ。
「その、昼間にも言ってた男ってやつ、恋人でもなんでもないから。ただの会社の同僚だから、関係ない人を巻き込まないでよ」