面倒な恋人



コポコポと細かくひいた豆にお湯を注いでいくと、部屋中にコーヒーの香りが満ちていく。

「いい香りだ」

唯仁がひとり言のように呟く。

今日の唯仁は、怖いくらい寡黙だ。

「ブラックでよかったっけ」
「ああ」

私は『これを飲んだら帰って』と念じながら、カップをローテーブルに置いた。

「どうぞ」
「ありがとう」

唯仁から『ありがとう』なんて言われたことあったっけ。
ゆっくりとカップを持ち上げた唯仁が、ソファーの空いたスペースを顎で示す。

「お前も座れよ」

ひとり暮らしにしては、ソファーは大ぶりのものだ。
なんとなく唯仁の隣に並んで座りにくかった。

今朝、唯仁の隣で眠っていた時の体温を思い出しそうになったのだ。

「私はいいよ」

唯仁から少し離れて、キッチンのスツールに腰掛けた。
離れたところに座ったからか、唯仁はつまらなさそうに唇を歪めている。

味わうようにコーヒーを飲むあいだ、部屋の中はシンと静まりかえっていた。

「ねえ?」
「ん?」

コーヒーを飲み終えたのか、唯仁が顔をこちらに向けた。

「昨夜はごめん。私も忘れるから、唯仁も忘れてくれる?」

唯仁はカップを置くと、ゆっくり立ち上がって私の前に立つ。

「お前、ひとりで泣いてたんだろ?」

私を見下ろしていた唯仁は、ふいに手を伸ばしてくる。

「なんでひとりで泣くんだよ」

私の頬をツンと指先でつついてくる。
スツールから飛び上がりそうなほど、彼が触れた場所がひりついた。

「泣いてないよ」
「ウソつけ、目が赤いじゃないか」

強がってみるが、目の前の唯仁には通用しないだろう。

「子どもの頃をちょっと思い出しただけ」
「そうか?」

慎也さんに失恋して泣いたと思われるのは嫌だけど、『恋人のフリをしていました』なんて言えない。
愛されてもいない人に抱かれてしまったことを考えたら涙がでたなんて、もっと知られたくない。

「ま、今日は帰る。お前が無事か、顔を見にきただけだから」
「それだけで?」

スタスタと玄関に歩き出す唯仁を私は慌てて追いかけた。

「唯仁、お願いだから忘れてよ」
「お前、俺がなにも考えずにあんなことすると思ってるのか?」

その言葉を言い終えないうちに、唯仁が立ち止まる。

「お前だってわかったはすだ」
「唯仁」

私の方を振り向くと、じっと私の顔を見つめてくる。
その瞳が妙に熱を持っていて、私の足はすくんでしまった。

「昨夜はお互いに求めあった」
「やめて」

その先は聞きたくなかった。身体がまだ、昨夜のことを覚えている。
その証拠に、私の身体はブルッと震えてしまった。

「俺は、いい加減なことはしない」

それだけ言うと、唯仁はさっさと玄関から出ていった。

ポツンと部屋のなかに残された私は、震えがおさまるまで両手でギュッと自分の身体を抱きしめていた。




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