エリート御曹司に愛で尽くされる懐妊政略婚~今宵、私はあなたのものになる~
「いえ、謝罪は結構。工場のことについては今後は貴方と話をすることになるでしょう。また連絡します」

「はい、よろしくお願いします」

 賢哉には菜摘から工場のことは清貴がどうにかしてくれると伝えてある。申し訳なさそうにしていたが、今の仕事に誇りを持っている彼は工場を立て直せると知って、ほっとしていた。

「いこうか、菜摘」

 車に促されるが、すぐに足を止めた。

「ちょっと待って」

 彼女はくるっと振り向くと、兄と慕う賢哉に頭を下げた。

「今日までお世話になりました。工場の事よろしくお願いします」

「菜摘、幸せにな」

 優しい笑みを浮かべた賢哉の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「ありがとう」

 菜摘もつられて泣いてしまいそうだったので、慌てて車の方へ歩き出した。

 清貴が助手席のドアを開けてくれて乗り込む。シートベルトをしているうちに、後ろの席にボストンバッグを積み込んだ彼が運転席に座った。

「挨拶は、もう大丈夫なのか?」

 エンジンをかけながら、そう尋ねる。

「うん、今生の別れっていうわけでもないしね。でも宮城菜摘とは今日でさよならだから」

 そう言った菜摘の言葉に、清貴はほんの少し口元を緩めた。

「何言ってるんだ。菜摘は菜摘だろう。結婚したからって何も変わらない」

 彼の意外な言葉に目を見開き、しばし言葉も出ない。

 エンジンをかけた彼が、菜摘の顔を見る。

「どうかしたのか?」

「ううん……なんでもない」

(清貴らしいな……)

 菜摘の知る彼は、よくも悪くもまっすぐな人だった。

 七年たって現れた彼は、以前の彼とは違って見えた。しかしときどき昔の彼の片鱗が見え隠れする。

 加美菜摘となる自分。

 清貴の妻となる自分。

 それらに不安がないわけじゃない。いやむしろ不安だらけだ。

 しかし彼への今もなお忘れられない恋慕の情や、彼の昔と変わらない一面を見ると、もしかするとうまくいくかもしれないという淡い希望を抱いてしまう。

 その都度「そんなに甘くない」と言い聞かしている。

 それを菜摘はすぐに身をもって経験することになる。

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