結婚契約書に延長の条文はありませんが~御曹司は契約妻を引き留めたい~
自分はもしかしたらマゾなのだろうか。
行為の後、シャワーヘッドから降り注ぐ熱いお湯に打たれながら、香津美はそんなことを考えていた。
和海に求められるまま体を重ね、最後は避妊しないまま、和海から注がれる熱い精液を受け入れた。
慌ててここに来て掻き出したが、これで妊娠していたらどうしようかと、不安になった。
これまで避妊なしに彼と交わったことはない。子どもを作るなら必要ないことだが、香津美たちはもちろん、それを望んではいない。
でも…
ブルリと香津美の体に震えが走る。
シャワーは浴室が湯気で真っ白になるほど熱い。決して寒さからではない震え。
奥を貫かれるよりもっと奥に、力強く注がれた命の源。
自分が持つ卵子と、彼の精子が結びつき子どもが出来るのだと思うと、ほしいと切望する自分がいた。

シングルマザーは大変だろうが、ひと昔前に比べれば、世間の目は冷たくはないように思う。
それに、和海が毎月振り込んでくれて手つかずの手当がかなり貯まっていた。それと、離婚後にくれるであろうボーナス、香津美の貯金があれば、子ども一人くらい誰にも頼らず生きていける。
いらないと思っていたが、もうそうなった場合、愛してあげる自信はあった。

そこに和海を関わらせるかどうか。

和海は篝の家を継ぐ唯一の後継者。他に親族はいるだろうが、直系の彼は子どもを設けなければならない。

だが、彼がその母親を誰にするか。

香津美が彼の子供を妊娠したら、この結婚は延長となるのだろうか。

手がフヤケて来たので、シャワーから出て体を拭いて、ノーブラでルームウェアを着込んだ。

髪を乾かしてバスルームを出て寝室を覗くと、全裸の和海が起き上がって、ベッドの端に腰掛けていた。

「起きたんですか?」

髪はクシャクシャであっても、何も身に着けていなくても彼は相変わらず香津美の胸をトキメかせる。
声をかけた香津美に向ける表情は、何かに打ちひしがれているのがわかる。

「俺…どうやって…」
「秘書の大原さんと、森田さんという男の人が、連れてきてくれました」
「そうか…そうだな」

頭を掻きむしって、思い出したのか納得するかのように頷く。

「何か…したのか? 俺は、香津美に」
「覚えていないのですか?」

そう問いかけると、こちらを見返す和海の瞳が揺れた。

「いや、思い出した。俺は…香津美にレイプ紛いのことを…」

項垂れ恥じ入る彼のすぐ横に香津美は腰掛けた。

「それほど酷くは…」

嫌なら香津美ももっと抵抗した。

「避妊。そうだ、俺は、何もしなかった」
「大丈夫だと思います…多分、危険日ではなかったと」
「しかし…」
「子供、もし、出来たら、どうしますか? 来月、私達が結婚して三年目です」
「それは、もちろん、子供が出来ていたら子供のためにも夫婦関係は続ける」
「そうですか…」

子供のため。それ以外は延長はない。そういうことだろうか。

「では、様子を見ましょうか。結論はそれからで」

すっと立ち上がった香津美を和海が見上げる。

「シャワー、浴びてきたらどうですか? シーツ、汚れたので洗いますから」
「香津美、昨日の、その、彼とは…」
「大原さんとは、偶然出会っただけです。お疑いなら、直接本人に聞いてください」
「いや、疑っては…」
「私なんて、あなたほど、特定の誰かといつも一緒にいる異性なんていませんから」
「どういう意味だ?」
「秘書の大原さん…私といるより彼女といる方がずっと長いでしょ」

そう言えば二人とも大原だ。佐藤や鈴木という名前が多い中で、大原という名は自分たちに余程因縁があるのだろうか。

「いつも一緒にいるわけではない。彼女はただの秘書だ」

『ただの秘書』そのただの秘書が、役員の夫婦間のことまで口を出すものなのか。
それとも、普段から和海は香津美との生活について、色々と彼女に不満を漏らしているのだろうか。
それなりに関係を築いてきたかと思ったが、それは香津美だけだったようだ。

「優秀な方なんでしょうね」
「そうだな。色々と気が回るし、取引先からもよく出来た秘書だと評判になっている」

『あまり専務を追い詰めないでください。お仕事だけでも大変ですのに、お家で奥様がきちんと支えて差し上げていただきませんと』
『専務がお可哀想ですわ。懸命にお仕事をされているのに、奥様は外で別の男性と会っているだなんて』

彼女が言い放った言葉を思い出す。

あなたもそう思っているのですか。

その言葉を、香津美は喉の奥に閉じ込めた。
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