私を愛するその人は、私の向こうに別の女(ひと)を見る
 彼に手を引かれながら、食事に彼を誘ったことを、私は後悔した。

 相手は王子だ。
 高級料亭なんか連れて行かれたらどうしよう。私ジーンズだしトレーナーだし、今日は高所作業もしたから埃も被ってるかも!

 しかし、そんなこと思うだけ無駄だった。
 王子は私のような女とは、そういうところには入らないらしい。

 連れてこられたのは、チェーン店の大衆居酒屋だったのだ。

 金曜の夜ということもあり、お店の中はなかなかの混み具合だった。
 私と彼はカウンターの隣同士に座り、注文した中生のジョッキで乾杯をした。

「こういう所、来るんですね……王子でも」

 ふと隣を見れば、もう半分ほどビールの減ったジョッキを手に、泡髭をつける彼。
 思わず吹き出すと、彼はキョトンとした後、はっと目を見開く。それから、へへっと笑うと、慌てて口元を手首の内側で拭った。

「清掃員さんたちも知ってるんだ、僕が“王子”って呼ばれてること」

 今度は私がハッとした。
 しまった、ついうっかり。

「別に嫌味とか、そういう意味は無いんです! 皆が“王子”って呼んでるから……」

「ううん、いい」

 彼はハハっと笑って「分かってるよ」と言うと、そのまま残りのビールを飲み干した。

「でも、名前で呼んでほしいかな、なんて」

 そう言う彼の顔には、また爽やかスマイルが浮んでいる。

 どうしよう、私、今、キラキラな世界の人と一緒にいる。

 そう思うと、彼の言葉は社交辞令だと分かっているのに、どうしようもなく彼のキラキラが欲しくなってくる。
 私の世界にはない、そのキラキラが。

「えっと……瑞斗、さん」

 照れながらも小声でそう言うと、彼は急に()せてしまった。

「わわ、何か、ごめんなさい!」

「ごほっ、ごめ……。いきなり来るとは思わなくて。ごほ、ほごっ!」

 ダメだった、やっぱり。
 彼は、私の世界とは違う世界の住民なんだ。

 彼が私に笑顔を向けるのは、他の人と一緒で、別に私は特別じゃない。
 そんなこと、分かってたのに。

 私はキラキラした世界には、行けない。

 彼が落ち着くように自分の胸を叩いている間に、私はバレないようにそっとため息をこぼした。
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