ビター・マリッジ

ため息が溢れそうになるのをギリギリのところで堪えて、ダイニングの椅子にかけてある幸人さんのジャケットを取り上げる。そうして、さりげなくそれを胸元に抱き寄せた。

自分でも嫌になるけれど、最近ではそうして幸人さんのジャケットから香ってくる匂いを確かめるのが習慣みたいになっている。

ここ一週間ほどは、幸人さんの香りしかしなかったジャケットから、今日はほんのりと甘い花のような香りがした。

それを感じた瞬間、ジャケットをつかむ手に力が入る。今夜はあの秘書と一緒だったのか……

気付けば、生地にシワがよりそうなほど強くジャケットを握りしめている自分がいた。

振り向いて、パソコンに向き合って仕事をしている幸人さんの首の後ろを睨む。

送別会で石原さんの幸せそうな顔を見て、私も温かい気持ちになって帰ってきたはずなのに。幸人さんのジャケットについた香りが私の心を冷やしていった。

石原さんは私のことを結婚の先輩だと言ってくれたけど、とんでもない。

私がこれまで送ってきた結婚生活のなかで彼女に教えてあげられることがあるとすれば、自分に関心のない夫の前での感情の殺し方と、自分以外の誰かを見ているかもしれない夫への猜疑心と嫉妬心の募らせ方。それだけだ。

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