片恋慕夫婦〜お見合い婚でも愛してくれますか?〜
「火傷の痕。それを理由に伊織先生に責任をとらせたんですよね」
「え……」

 智美さんがなぜ、私の火傷のことを知っているのだろうか。それに伊織さんに責任をとらせたって――

「聞いたんです。伊織先生が幼いころに怪我を負わせてしまった女性と結婚するって。本当は彼が帰国したあと、私とお見合いをする予定だったのに。全部全部台無しですよ。もう二十年以上も前のことでしょう? そんな大昔の……子供のころの事故で伊織先生を一生縛り付けるなんて、許せない」

 先ほどから私は何を言われているのか、よく理解できない。

 火傷の痕が、伊織さんのせい? 伊織さんはそのことに負い目を感じて私と結婚した?

 そんな話、聞いたこともない。ただの彼女の妄想だ。

 そう思いたいのに――なぜか否定できない自分がいた。

「とにかく、私が伝えたいことは以上です。本当に伊織先生のことを思うなら、すぐに別れてください。責任を負って結婚するなんて、あまりにも彼が可哀想なので」

 智美さんはそう言い切って、踵を返す。道行く人たちは、驚くほどに私たちを気にも留めない。ガヤガヤとした街の雑踏の中、しばらくそこから動けずにいた。


 
 智美さんと別れたあと、未だ整理ができていない頭を抱えながら、牛歩のごとく実家へと帰省する。母は変わらず明るい笑顔で迎えてくれたものの、私を見てすぐに何かを察したようだった。

「お父さんは?」
「今日は遅くなるって。先にご飯食べる?」
「うーん、あまり食欲なくて。あ、これお土産」

 伊織さんと行った箱根のお土産の和菓子を手渡すと、母は微かに目を見開いた。

「あら、箱根。もしかして伊織さんと?」
「そうだけど」
「そう……懐かしいわね」

 母は箱を眺めながら目を細める。いつか家族で行っただろうか。

「それじゃあ、お茶でも出そうかしら。ちょっと待ってて」
「うん……」

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