秋恋 〜愛し君へ〜
俺たちの夫婦としての生活が始まった。樹は体調も疲れやすいという以外、全く問題ないといった感じだった。毎日玄関先で俺を見送り、インターホンを鳴らせば玄関の扉を開け出迎えてくれた。そこにはごく普通の新婚生活があった。
樹は俺の前ではいつも笑顔だった。でも、それは俺に対する樹の精一杯の思いやりだったのだ。
後に姉貴からきかされた。俺の知らないところで樹が痛みと戦っていたこと。俺の留守中、姉貴がマンションを訪れた。その時樹はうずくまり、ソファーに爪を立て、冷や汗をかき苦しんでいた。姉貴が薬を飲むように言ったのだが、樹はかたくなに拒んだ。俺が帰る寸前まで薬は飲まないのだと。身体が薬に慣れてしまって効かなくなるのは困る。俺の前では笑っていたいからと。だから、この事は俺には黙っていて欲しいのだとー



結婚式からちょうど2週間後、俺はその日オフだった。前日に、明日調子が良ければ、どこかに出かけてみよう、樹の行きたいところを決めておくようにそう言っていた。

「決めた?」

「うん、ずっと行きたかった場所」

「どこ?」

「河川敷。秋ちゃんのお気に入りの場所」

「そっか、そういえば一度も一緒に行ったことがなかったな。わかった行こう」

俺は借りていた親父の車に樹を乗せ、実家へ向かった。お袋と3人でお茶を飲みながら話しをした後、歩けると言い張る樹を連れてスローペースで河川敷まで歩いた。俺も長い間来ていなかったけれど、ここは全く変わっていなかった。

「ここだよ」

俺は樹の身体を支え、ゆっくり座らせると俺も並んで腰を下ろした。

「樹寒くないか?」

樹は、優しいクリーム色のブラウスにロングスカート、ベージュのカーディガンを羽織っていた。

「うん平気」

俺を見て微笑んだ。

「秋ちゃん、お誕生日おめでとう」

「えっ!」

そうだ、10月21日、今日は俺の誕生日だった。

「そっかぁ、俺23になったんだ。そういやさっき、お袋何も言わなかったよな。息子の誕生日忘れんなっつーの」

「うふふっ、秋ちゃんだって忘れてたじゃない、自分の誕生日なのに」

「まっ、そうだな」

「秋ちゃん、目を瞑って」

俺は言われるがまま目を閉じた。

樹の唇が俺の唇に重なる。

「誕生日プレゼント」

公衆の面前でキスなんて!結婚式以来だ!

「秋ちゃん、愛してる」

樹が微笑んだ。

「めちゃくちゃ嬉しいプレゼントだ!ありがとう樹」

「ねぇ秋ちゃん、向こうの世界にフロントってあるのかな?」

「フロント?」

「そうフロント。こちらにお名前とご連絡先をお願いいたしますって」

「んーっ、あるかもな。ざーますおばさまがいるかも」

「ざーますおばさま?」

「ほら、金のチェーンのついた、なんかいかにもって感じのメガネかけてる○○ざますわよ、オーッホホホホって言う人いるじゃん」

俺は指をピンッと揃え、メガネを上下に動かす真似をしてやった。

「なるほど!ざーますおばさまね。秋ちゃん上手。どうしよう私緊張しちゃう」

「樹、名前間違えちゃだめだぞ。岩切樹じゃないんだからな」

「そうだね、私、長谷川だもんね」

「そうだぞ、絶対間違えるなよ」

「うん」

柔らかく、心地よい風が俺たちを包んだ。樹は大きく深呼吸をした。

「この場所でいつも癒されてたんだね」

「そうだよ、いいところだろ」

「とっても気持ちいい」

「気持ちいいな」

「秋ちゃん」

「ん?」
  
「これから先、秋ちゃんが幸せに過ごしてくれてたら、私、風になってやって来る。風になって、この場所にやってくるね」

「風に?」

「うん」

「本当か?」

「うん」

「じゃあ、約束な」

「うん、約束する」

樹は俺の手を握り締め、俺の顔を見て微笑むと、俺の肩にそっと寄りかかり瞳を閉じた。しばらく何も言わず、穏やかな表情で何かを感じ、聴いているようだった。

「秋ちゃん」

「ん?」

「本当に気持ちいい……秋…ちゃん……」




「樹?」

返事は返ってこなかった。

俺は温かい樹の身体を抱きしめた。
「痛いよ秋ちゃん」樹が今にもそう言ってきそうになるくらい、強く強く強く……











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