まあ、食ってしまいたいくらいには。
幕間





くらくらするほどの甘い匂いはなにかの間違いだと思いたかった。

それでも抗えず本能が刺激されるその香りは、間違いなくケーキが発するものだった。




「どうしたの?もものかお、なんかついてるー?」


やっぱり警戒心のまるでない目の前の女の子。


彼女といるようになって半年近く経っていた。

それなのに、どうして。


どうしていまさら甘い匂いなんか。


のちに調べてわかったことだが、子ども時代に自我の確立があるように、幼少期のフォークも不安定になりやすいらしい。

つまり、大人ほどケーキに対する食欲もなく、ときには匂いすら感じないこともあるのだとか。


──“今だったらもっと上手くやれただろう”。



「ね、こわいかおしてるよぉ。ほら、笑顔えがおー」

「……きみは、ケーキ?」


こちらに伸ばしかけていた手がぴたりと止まった。

はっと顔をあげると彼女は初めて見る顔をしていた。



「なんで、しってるの……?」


聞かずとも察したのだろう。

いつも鈍感な彼女がいち早く気づいたことに少なからず驚いた。


この年齢で自分がケーキであることを

……すでに知っていた?



「もものことたべる?」


今度はこちらから手を伸ばそうとしたらびくっと肩を跳ねさせた。

彼女をこわがらせてしまった。拒絶されてしまった。

その両方にショックを受けて固まっている間に、彼女がどこかに走り去ろうとしたから。



「もも」


僕は思わず彼女をひきとめた。

その名をはじめて呼んだ。



「僕はきみを食べない。なにがあっても、絶対に傷つけたりしない。約束する」


はじめてできた友だちだった。

あの日から考えているのは、彼女のことばかり。


────かぎりなく満たされていた。


この時間を失いたくない、その一心で彼女の後ろ姿に語りかける。



「きみを食べたりなんかしない。絶対に。だから、ずっとそばにいてほしい」


ずっと、を付けると一気に意味合いが変わってくることに気づいた。

だからといって訂正する気も、余裕もなかった。


ゆっくりと振り返った彼女はまた、初めての表情を見せてくれた。

もうずっと前から僕の世界にも色はついている。



「うん」


うれしそうにはにかむ頬は、春をとじこめたようなももいろだった。




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