一夜の過ちは一生の過ちだった 【完】
その夜、うとうと眠くなった頃にクロエさんは帰ってきた。
七星さんらしき声も少し聞こえたけれど、しばらくするとその声は消えた。


下に()りて、クロエさんに会うべきなんだろうか。
それとも、寝たふりでもした方が良いんだろうか。

ベッドの中で寝転んで考えてみたけれど、いつかは絶対に顔を合わせる事になる。
ずっと顔を合わせないですむなんて事はない。

それなら、今日のうちに顔を合わせてしまった方が良い。
のばした方が、きっと顔を合わせづらい。



恐る恐る下りていくと、キッチンからオレンジの光が小さく漏れていた。
ドアノブに伸ばす手が、やけにゆっくになってしまう。

ドアを開くとオレンジの照明の中で、クロエさんはいつも通り「ただいま」と言った。

「おかえりなさい……」

そう言いながらロエさんの眼を覗き込んでみたけれど、いつもと変わりなく見える。
眼を逸らす訳でもないし、気まずそうにもしない。

クロエさんに自分はちゃんと見えているんだろうか。


「……どうしたの?」

「いえ…遅くまで、お疲れ様でした」

クロエさんは水を一杯飲み、大きく息を吐いた。

今までだって、クロエさんはこうしていたはずだ。
疲れて帰ってきたら水を飲んで、大きく息を吐く。
そういう姿は何度か見た。

なのに、気持ちが崩れそうになる。
自分と顔を合わせたくなかったんじゃないか、と。

いつもは気に留めていなかった事が気になってしまう。
どんどん胸のあたりに黒い靄がかかる。

「……もう、今夜は遅いので。おやすみなさい」

「おやすみ」



クロエさんは、ちっとも変わりなかった。

自分にとってはとても大きな事だったのに、クロエさんにとっては何でもなかったんだろうか。

カイトさんの代わりで良いと思った。
もう自分の存在は、クロエさんにとってなんだって良いと思った。
そばにさえ、いられれば。


そうやって思っていたのに、どうして今、こんなに胸が痛いんだろう。
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