星のゆくすえ

騎士リセラド

修道院は俄かに騒然となった。
よそ者の、しかも男が修道院に入りこんだのだから無理もない。加えて、ここは刺激も事件もない田舎である。アルフィネや年長のシスターたちがいくら仲間たちを落ちつかせようとしても無理な話だった。
気絶したマーシャを近くの空き部屋へ運んだ同胞たちを、他のシスターたちが囲んだ。一瞬で広がった事件の真相を知りたがり、皆は興奮して目が輝いていた。
運んだうちの一人、シスター・マリーベル曰く、シスター・マーシャを助けようと動いてくれた。しかしマーシャを気絶させたのもこの男で、井戸の近くで気絶していたマーシャを横抱きにしていた。

警戒心と好奇心が混じった緊張感の中、男は自室に運ばれるマーシャを心配そうに見ていたが、ラノンの執務室に招かれた。そこで彼はあっさりと、トルベルソン公爵に仕える騎士だと身分を明かした。証拠として出されたメダイユには、公爵領のシンボルカラーである赤い宝玉があしらわれているーーこれを本人以外が手にすると、黒く濁るよう魔法がかけられているのだーーを見たラノンは男を信用することにした。

「湯浴みだけでなく食事までいただいて…なんとお礼を申し上げれば良いか」
「我々は等しく神の子ですもの。お互い様というものですよ」

騎士ーーリセラドは汚れを最低限落とし、丸パンと野菜スープと水だけの質素な食事をもらい、血色はかなりよくなった。
無精髭を剃ると、目に見えて精悍な顔立ちが浮き彫りになった。肌は日にしっかりと焼けており、短めの黒髪はくせ毛で、くっきりした二重の黒い瞳が特徴的だった。

「…少々お訊ねしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「ええ、どうぞ」

リセラドは声を低め、真剣な眼差しをラノンに向けた。ラノンは皺だらけの手を組みなおすと、いくらか張りつめた空気を纏って相対する。

「実は、人買いの組織を追っているのです」
「人買い…“狼の眼”ですか?」
「ご存じでしたか」
「王都の大聖堂から、注意するようにとお触れが出されておりますから」
「ならば話が早い…最近、怪しい者を見かけませんでしたか? 変な事件が起こったとか…」
「いえ、私はありませんが、シスターたちは何か知っているかもしれません。他は、この近くに村がありますから、そちらで話をーー」

執務室のドアをノックする音が響いた。
ラノンが入室の許可を告げると、ロクサーヌが身体を滑りこませるようにして入ってくる。チラチラと話題の人物に目線を向けながら、マーシャが目を覚ましたと報告した。

「それで、シスター・マーシャが午後の日課をどうしてもやりたいと聞かなくて…」
「では図書室の整理をお願いしましょう。あれならそこまで重労働ではないでしょうし」
「わかりました。伝えてきます」

ロクサーヌは礼をすると退出した。扉を閉めた後も姦しい話し声が聞こえてきて、ラノンは静かに頭をさげた。

「申し訳ありません、騒がしくて…」
「いえ、大丈夫です。原因は私ですから、こちらこそ謝罪をさせていただかなくては」

そう言ってリセラドは深々と頭をさげようとするが、ラノンがそれを押しとどめる。彼には聞かねばならないことが沢山あるのだ。謝罪合戦で時間を無駄にしてはいけない。

「“狼の目”を追ってらしたのですよね? 何故あのような場所で倒れていたのでしょう?」
「“狼の目”を手引きしている者を見つけ、捕縛しようとしたのですが…恥ずかしながら逃げられてしまいまして、ここまで追ってきたは良いのですが、そこの井戸で力尽きてしまった次第です」
「それは…急いで公爵領か王都までお戻りになったほうが」
「いえ、すでに報告は終わっております」

リセラドはそう言うやいなや、自身の髪を一本だけ引きぬくと短く呪文を唱えた。黒い一本線のようだった髪が、飛ぶ鳥の形になる。黒いインクで描いた、簡素な絵柄のようだ。
それはリセラドの手から離れ部屋の中を一周すると、彼の手に戻りすうっと透明になって姿を消してしまった。

「…便利ですね」

ラノンは納得したようにうなずいた。この世には魔術師でなくとも、学び鍛えれば騎士や平民も魔法を使えたりする者たちがいる。このリセラドもそのうちの一人だったらしい。

「これで力を使いきってしまいまして、少しだけと思い、井戸の近くで休ませていただくつもりだったのですが…シスター・マーシャには悪いことをしました」
「悪意がないことは理解しておりますから、どうかあまり気に病まずに…」
「…謝罪させていただきたいのですが、難しいでしょうか?」

ラノンは返事をせず目の前の騎士を見つめた。
射抜くような二つの光がそこにある。リセラドは穏やかな瞳を一変させたラノンに怖気づくでもなく、ただ真っ直ぐ見つめかえした。
やがて、根負けしたと言わんばかりにラノンが息と吐いた。

「…構いません。謝罪だけなら許可します。ただあの子への接し方ですがーー」
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