星のゆくすえ

はじまりの時

男は薄汚れていたが、貧相ではなかった。ならば乞食ではない。フード付きマントを羽織っていて顔は見えないが、がっしりとした体型をしている。薄汚れたチュニックに、ベルト代わりの革紐、ズボンやブーツも革製で泥に汚れている。

マーシャは一歩、また一歩と足を進める。院長に報告するために、せめて生きているか死んでいるかを確認しようと考えての行動だった。

「……」
「……」

男にーー家族でもない男に自分から近づくなど、マーシャは自分が信じられなかったが、今は非常事態だ。男性が苦手だなんだと言っている場合ではない。
十二分に近寄ったと判断した彼女は、男の手首で脈を取ろうと手を伸ばした。恐ろしさで指が震える。しかしなけなしの勇気を振りしぼって、投げだされた男の武骨な手に触れたーーーと、マーシャが思った瞬間だった。

「!」

男がカッと目を見開き、マーシャのしなやかな手首をつかんだ。鋭い二つの光が、マーシャの記憶を引きずりだす。

ーーお嬢様…!!

婆やがまだ快活な少女だった頃のマーシャに覆いかぶさる。その瞬間は何が起きたのか全く理解できなくて、ただただ茫然と広がる暗闇を見つめていた。
だが徐々に何が起こったかを理解すると、その心は耐えきれず、悲鳴さえあげられないまま、意識を失った。

今のマーシャもまた同じく、しゃがんだまま意識を失い、横倒れになった。
それにギョッとしたのは男の方だ。人の気配に目を覚ましたは良いが、反射で相手の手首をつかんだらしい。すぐさま離すと、肩を軽く叩き声をかけたーーが、起きる気配はない。青白い顔で動かないマーシャに、男は息があるのかだけを確認する。呼吸を確認した男はマーシャを横抱きにして目についた修道院に運ぼうとした。

「お待ちください」

しかし、震える声に男は足を止めた。マーシャがいつまで経っても来ないことを不審に思ったマリーベルが井戸まで来ていたのだ。

薄汚れた男が気絶している朋輩(ほうばい)を抱きかかえ、どこかに連れていこうとしているーー呼び止める声が震えているのも道理だった。

「怪しい者ではありません」
「…」
「どうか、ここの院長のところまで案内していただけませんか?」

マリーベルは必死に頭を働かせる。この男を信用して院長のところまで案内すべきだろうか。声は優しげで、言葉遣いは丁寧だ。それでいて妙に肝が据わった感じがする。マリーベルは直感でそう思ったが、それ以前にマーシャから引き離すべきだろうと決断した。

「マーシャをまず下ろしていただけませんか? 話はそれからです」
「女性を地面に? とんでもない、ベッドまで運ばせていただきます」

男はマーシャを驚かして気絶させたと考え、責任感から行動しているらしい。それは間違いではないが、マーシャの場合は不正解の対応だ。
二人のやり取りにマーシャは目を覚まし、目蓋が薄らと開かれる。二、三度瞬きをすると、自身が置かれた状況をすぐに理解した。

「お気づきになられましたか」

良かった、と男が言う前に、マーシャは短く悲鳴をあげるとガタガタと震えだした。見開かれた目からは涙が次々と流れおちる。

「シスター!?」
「マーシャを離してください! 早く!」

男はすぐに、かつ慎重にマーシャを足から下ろした。それと同時にマリーベルがマーシャの肩を抱き、ゆっくりと地面に座らせる。
マーシャはとうとう呼吸も乱し、歯をガチガチと鳴らしながら口元に手をやった。

「院長は礼拝堂です、すぐそこの建物ですので」

マリーベルは男を見ずに早口でそう言った。男はその言葉を聞くやいなや走って礼拝堂へ向かう。
男がラノンを呼びに行っている間に、マーシャはマリーベルの処置により呼吸は落ちついたものの、再び気を失った。
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