星のゆくすえ
迫る魔の手

フィオレ

そして次の日、早朝。
リセラドは目を開けた。身体に怠さは残っていたが、動けないほどではなかった。徐に起きあがった彼は、首や肩を回したりして眠気を飛ばす。いくぶんかスッキリした心持ちで周りを見回せば、どうやら村人の家のようだった。
ちょうど良くノックの音が響き、リセラドが返事をすると村の医者が入ってきた。白峰のような白髪を後ろに流して、軽く結んだ老人だ。白い口髭が上下に動いた。

「具合はいかがですかな?」
「おかげ様で、この通り大丈夫です」

リセラドはそう言ってベッドから下りて、腕を回してみせた。立ちくらみもなく、健康そのものだと医者に伝える。老人は目を細めて微笑むと、持ってきた食事をそっとテーブルに置いた。

「火事はどうなりました? 〝水の魔法〟を使ってから何も覚えていなくて」
「騎士様のおかげで無事おさまりました。村の動けそうな者たちが、シスターたちと後片付けをしておる最中です」
「では食事が終わったら私も向かいましょう」

とたんに医者は首を横に振った。

「いかん、いけません。騎士様、貴方は最低限の体力を回復したに過ぎません。ラノンさんをお助けする時も、〝火除けの魔法〟を二人分使っておりましたろう? とどめに〝水の魔法〟だ。…今日だけは、絶対に、ぜっ・た・い・に安静にしていただきたい」

ここまで強く言われてしまえば、リセラドは両手を肩の辺りまであげて降参するしかない。…実際、医者の言う通りだった。完全回復とは言いがたく、しばらくの間、魔法はどんな些細で簡単なものでも使えないだろう。

「…ではお部屋をお借りいたします。諸々の代金は申し訳ありませんが公爵を通してーー」
「とんでもない! 貴方はこの村とシスターたちの恩人です。代金は前払いしたようなものだとお思いくだされ」

リセラドが口を開くのをさえぎるようにして、医者は続けた。

「それにこれから何かと入り用になるでしょう? “狼の目”の話はわしもうかがっております。…嘆かわしいことです。何か少しでも妙なことが起これば、修道院と村人一同、すぐにでも報告いたしましょう」

リセラドはマーシャに手紙を残し、すぐこの村へと向かった。少しでも情報を得られればと考えていたが、結果は(かんば)しくなかった。
しかし協力を取りつけることには成功したようだ。そこは収穫と言えるだろう。

「…長居しすぎましたな。どうぞゆっくりとお過ごしください」

医者は軽く一礼すると部屋を後にした。リセラドがテーブルに置かれた食事に目を移すと、湯気が立ちのぼる豆のスープだった。
そうリセラドが認識した瞬間、腹の虫が盛大に鳴った。今この場に誰もいなくて良かったと、彼は心から神に感謝した。

椅子に座り、祈りを捧げてから少しずつ口に運ぶ。素朴な味がしみて、腹の虫が満足しているのが手に取るようにわかった。それからは無心になって平らげてしまうと、水が入ったゴブレットに手を伸ばした。

カツン、カツン。

硬質な音が窓から聞こえてきた。リセラドはゴブレットから手を離すと、窓の側まで近づいた。

「騎士様、失礼いたします。修道院のマーシャです」

鈴を転がすような声が、リセラドの耳の奥を震わせた。張り詰めたような、今にも消えてしまいそうな声だったが、確かに声はそう名乗った。

「院長を救い、火事をおさめてくださり、本当にありがとうございました」
「…いいえ、シスター、私は騎士として当然の行いをしたまでです」

臆病な小動物を相手にするように、リセラドは努めて優しく、低めの声で応えた。沈黙がしばらく続いたが、対応は間違っていなかったらしく、か細い声が窓を通して聞こえてくる。

「あの、手紙をありがとうございました…騎士様は何も悪くないのに、私、とんだ無礼をしてしまって」
「いいえ、巡りあわせが悪かったのです。貴女が気を病む必要はありません」

マーシャの(まと)う緊迫した空気がゆっくりと解けてゆく。しかしリセラドは焦らず、あくまでマーシャの調子に合わせて会話を試みた。

「お優しいのですね、騎士様は」
「シスター、貴女こそーーここまで礼を言いに来てくださる方が、優しくなくて誰を優しいと言えましょう」
「…そうではないのです。そのーー」

突然、馬の鼻息が会話に割りこんだ。ブルルッとひどく威勢の良い息は、閉じられた窓を通しても伝わってくる。
リセラドは、もしやと思い窓をそっと開けた。顔を外にだし、右側に向けるとーー

「フィオレ…!」

栗毛の穏やかな目をした馬がそこにいた。マーシャが手綱を引いてきたのだ。
フィオレはリセラドが“狼の目”を追う時にわざと逃した。森の中に逃げこんだ敵を追うと同時に、愛馬が標的にされるのを恐れての判断だった。…その結果、相手を見失ってしまったが。

「あ、やはり騎士様の馬なのですね」
「シスター、フィオレを一体どこで?」

マーシャはフィオレをリセラドに近づけ、自身はリセラドから少しだけ距離をとる。
愛馬との再会にリセラドは満面の笑みを浮かべ、鼻を撫でたり額を合わせたりしてからマーシャに問いかけた。

「村の外れにいたのを連れてきました。確か…町のほうでした」
「そうでしたか…本当にありがとうございます」

リセラドは愛馬の頬をひと撫ですると、質問をさらに続けた。

「よく私の馬だとわかりましたね」
「ここでは見かけない馬でしたから、もしかしたらと思って」

マーシャは朝から修道院の仲間たちや村人たちと後片付けに奮闘していたが、今日は隣の町から使いが来る日だった。手が離せない村人の代わりに迎えに行ってきたは良いが、まだ使いは来ていなかった。
どうしたものかと思っていたら、フィオレが一頭で歩いてくるのを見つけたのだ。マーシャは慌てて保護し、怪我をしてないか確認しているうちに理解したが、この栗毛の馬は賢く人馴れしていた。
もしやと思い至って連れてきてみたらーーという事情があった。

いつもと違ったことがなかったか、その時のことをできるだけ思い返しながら語るマーシャに、リセラドは辛抱強くつきあった。

「使いの方はいらっしゃったのですか?」
「ええ、怪我がないか確認している時にいらして…今は、村長さんと一緒です」

使いの方も、おかしなところはありませんでした。そうつけ加えたマーシャに、リセラドは大真面目にうなずいた。

「ご協力ありがとうございます」
「それでは戻ります。失礼いたしました」

マーシャは妙に早口で言うと、大急ぎで修道院への道を走っていった。リセラドはその後ろ姿を見送りながら、フィオレの首を軽く叩く。手に鼻先を擦りつけられるのを感じながら、リセラドはラノンの言葉を思いだしていた。

ーーシスター・マーシャは、家族以外の男性がひどく苦手なのです。
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