婚約破棄されたい公爵令息の心の声は、とても優しい人でした

15.弱い心

 いつの間にか会場に戻ってきていたヴィンセント様は、ヨレヨレになっていた上着は着ておらず、清潔感のある白いシャツにネクタイというシンプルな姿になっている。
 それでも十分に気品を感じられるのは、彼が持って生まれた素質なのだろう。
 だけど笑顔を浮かべるその目は全く笑っていない。
 サファイアの様な瞳からは静かな怒りが伝わってくる。
 彼の近くにいる人達は、ただならぬ雰囲気を感じ取ってか、気まずそうに顔を伏せて離れていった。

 いつもは完璧に子供を演じている彼だけど、今の姿はどことなく危うさを感じてしまう。
 何かささいなきっかけでもあれば、その姿が崩れてしまうような……。

「……ヴィンセント様?」

 私が慎重に名前を呼ぶと、ヴィンセント様から放たれていたどす黒いオーラは静かに消失していく。
 次の瞬間、いつもの様に無邪気な笑顔を見せて私の方へと駆け寄ってきた。

「レイナちゃん! 遅くなってごめんね! 大丈夫だった?」

 私の傍までやってくると、ヴィンセント様は何かに気付いた様に視線を落とした。

「レイナちゃん、ちょっとその手を見せてもらってもいい?」
「あ……」

 咄嗟に隠そうとしていた右手を、すかさずヴィンセント様が掴んだ。
 傷に触れない様に優しく持ち上げられた私の手の甲には、血が滲み刺々しい細かな木の破片が突き刺さっている。
 見た目は痛々しいけれど、幸いな事に骨は折れていないよう。危うく農作業に支障をきたすところだった。今度から気を付けよう……扉も壊しちゃったし……。
 思い出したくない現実を思い出して沈んでいると、私の右手を握る彼の手が震えだした。その表情から笑顔は消えている。
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