殺すように、愛して。
 黛が口を開かないがために、その声は聞こえなかったが、代わりにどこかの扉を開けるようなガラガラとした音が耳の奥に響いた。イヤホン越しから、だけでなく、イヤホンの外からも。それは、聞こえた気がした。玄関の開く音に酷似している。いや、その音だ。その音に違いない。躊躇も何もない黛が、家に上がってきているのだ。堂々と不法侵入ができる人なんて、黛くらいしか思いつかない。そしてその常軌を逸した行動を、いくら知り合いとは言え許容できてしまうのも、自分しかいない。厳しく強く注意しても、黛には効果がなく、丸め込まれてしまうのが落ちだった。悪いことをした、している、してしまった、という意識が著しく欠落している。彼は罪悪感を抱いておらず、それに一切懊悩としない。

 黛が階段を上ってくる。俺が二階にいるという確信を持った足取りだった。鼻が利く黛だ。匂いで俺の居場所をすぐに察知できるのだろう。耳に直接響く彼の動く気配や息遣いと、イヤホン越しからではない足音が、淡々と近づいてくる足音が、俺を徐々に、専ら、酷く、狂わせていく。

 何も見えないことで、音にばかり意識が向いてしまっていた。黛は、自分の声が俺をふやけさせ蕩けさせると理解しているのか、わざと焦らして煽るように、まゆずみ、まゆずみ、とそればかりの俺の呼びかけには応じなかった。それでも通話は切らない。俺も切ろうとはしない。そのため、リアルで聞こえる音と、スマホが拾う音。出所は一つなのに、二カ所から届けられるそれぞれの音に混乱する。
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