Honey Trap
顔を上げた先に、すでに男の姿はなかった。
確かに体を重ねたのに、こんなに心許ない心地になるのは初めてだ。
なにも始まらない行為に虚しさは募れど、拾い集めたものが零れ落ちていくような焦燥は今までとは違う。
繋がりそうな思考を無理矢理追いやる。
今はなにを考えたって、憶測でしかない。
「……」
1階トイレ。
鏡に映る自分の顔を見て、私は廊下へと踵を返す。
事後にはうっすらと汗ばんで火照っていた顔色も、今はもう常に戻っている。
乱された衣服を整えて、呼吸が落ち着くのを待ってから、懇談に集まる親子たちに見つからないよう数学準備室をあとにした。
素直に男の言うことを聞いたわけではないけれど、さっきの私はもし人に見られでもしたら、変に勘繰られかねない姿だっただろう。
無理な体勢で押さえつけられていたせいで、体の至るところが痛むけれど。
"普通" を装うぶんには問題ない。
ある一部分を除いては。