※追加更新終了【短編集】恋人になってくれませんか?
(この声……)


 ノナは大きく目を見開きつつ、そっと頭上――――湖面を見つめる。


「ノナ――――――」


 間違いない。ハッキリと己の名前が呼ばれていた。


(フィデル様……!)


 それは、ノナの元婚約者であり、姉であるベルの夫、フィデルの声だった。ノナは戸惑いつつも、そっと湖面目掛けて浮上する。ゆっくりと波を立てないように――――フィデルからはこちらが見えない位置に佇むと、ふいに大きなため息が聞こえてきた。


「君を幸せにするって約束したのに――――」


 深い悔恨の滲む声音。フィデルの眉間には皺が寄り、今にも涙が零れ落ちそうだ。


「――――あなた、またこんな所に居たの?」


 けれどその時、高く冷ややかな声が響いた。ノナの心臓がまた、大きく跳ねる。顔を見るまでもない。姉のベルだ。


「こんなところで嘆くなんて――――馬鹿みたい! ノナはもう死んだのよ? あなたが裏切ったから――――あなたが私を選んだから、絶望して、湖に身投げしてしまったの」

「違う……違う! 僕はノナを裏切ってなんかいない。僕は……僕の心はノナだけのものだ。両親の手前、君との結婚を断れなかったのは事実だが――――いつかきっと、後宮にノナを迎えに行こうと思っていた。そのために功績を残そうって……」

「はいはい! 口では何とでも言えるわ。その結果がこれよ? ノナは二度と戻ってこないわ。あなたは私の夫なの。私を愛さなければならないの。いい加減現実を見なさい?」


 二人は顔を歪めたまま、言葉の応酬を続ける。


(フィデル様が、今でもわたくしを想ってくれていたなんて)


 けれど、ノナはちっとも嬉しくなかった。どんなに想っていても、行動が伴ってなければ意味はない。
 それに、彼はノナとの婚約が破棄された時、何一つ言葉を掛けてはくれなかった。あの瞬間、フィデルは口先ばかりで、本当はノナのことを愛していなかったのだと思い知ったというのに――――。


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