瞳の中の住人
 僕の視線となった兄の翼が、にんじんを指さし、綾音になにか言ったようだった。

 音声がないのでわからないが、おそらくは食べることを促したのだろう。

 綾音はしぶしぶといった様子でにんじんを口に入れ、ぎゅっと目をつむりながら我慢して食べていた。普段から兄を信頼し、兄のいうことをよくきく妹なんだろうと思った。

 少女時代の綾音の、あどけない笑顔や泣き顔、中学生のころの照れた表情、高校生になってからの寝顔。綾音は『彼』にとって、守るべき存在で癒やしだった。

 兄妹は同じ作家の本を好み、本にかんしての雑談も楽しんだ。

 母親が経営する『Komorebi』という喫茶店で、決まって同じ席に座る綾音に声をかけ、コーヒーを飲みながらいろいろな会話をしていた。

 僕の視線である『彼』に、綾音は幸せそうな笑みを見せて喋ったり頷いたりしていた。表情がくるくるかわる彼女に、傍観者の僕は目がはなせなくなる。綾音の魅力にとりつかれた。
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