裏側の恋人たち



「佐脇さん、オーダー出したから確認頼んでいいかな」
「いいですよ」

時刻は準夜帯に入っていてナースステーションにいたのは布川先生だけだった。
そこに検温の途中で電池切れした体温計の交換をしにナースステーションに戻ってきた私。

まだ検温の途中だけど、オーダーの確認くらいならさほど時間はかからないと思い了承したのだけれど。

中央テーブルに置いてあるパソコンのマウスを操作していると

「へえ、思ったより綺麗な指をしているんだね」
顔の近くで声がして驚いて飛び上がった。
たぶん5センチは飛んだと思う。

思ったよりも近くで、というか肩が触れそうな距離に布川先生が近付いてきていたのだ。

「先生、驚かさないで下さいよ」
「あ、ごめん。びっくりした?」
「もちろんです」
「佐脇さんの魅力に吸い寄せられちゃったんだ。悪かったね」

くすりと笑って自分の座る椅子のキャスターをずらし10センチほど離れてくれたけれど、今なんて言った?
魅力に吸い寄せられたって?

人当たりがよく、イケメンなのに遊んでいるという噂も聞かない布川先生の違う一面を見たようでマウスを動かす手を止めて布川先生の顔をじっくりと見た。

この人、もしかして実は遊び人なのかも。

「綺麗だよね、佐脇さんって。いま彼氏はいるの?」

はあ?!
いきなり職場で何を言い出したのか、私の頭に多くのハテナマークが浮かぶ。
布川先生ってこんな人だっけ?

彼氏はいない。
いないけれど、狙っている人ならいる。
いま猛アプローチ中なのだ。
ーーってそんなことはどうでもいい。

「今度ふたりでおさーーー」
布川先生が口を開いたところに「あら、先生まだ残っていらしたんですか?」と先輩ナースの北山さんの声がした。

途端に布川先生が立ち上がり
「じゃあオーダー通り明日の朝一番で検査前処置頼んだよ」
と言いながら大急ぎでナースステーションを出て行った。

なんだったのと思いつつオーダーの確認をして私も立ち上がる。
まだ検温が残っているのだ。

「布川先生には手を出さないで」
すれ違いざまに放たれた険のある言い方に驚いて振り返る。

刺すような視線の北山さんに言いようのない不快感が込みあげる。

「私は先生に対して同僚としての認識と感情しかありませんけど、北山さんは違うんですか」

思わず言い返してしまった。
北山さんは私より4期も上の先輩だけど、身に覚えがないことで敵意をもたれるのは不愉快極まりない。

私が言い返してくると思わなかったのか北山さんの目が動揺したらしくゆらりと揺れた。

「いま二人で出掛ける約束をしてたんじゃないの」

「してませんよ。例えお誘いされたとしても私狙っている人がいるので受けませんし。万が一彼に誤解されたらこれまでの苦労が水の泡です」

「そ、そう。そういえばあなた先週入院してきた鳥越さんにべったりだったものね。ならいいの。誤解してごめんなさいね。じゃあ私帰るわ」

私の視線を避けるようにして北山さんはナースステーションをそそくさと出て行った。

なんなの、あれ。
そう思った翌週。

勉強会の資料作成をして遅くなってしまった日、病院の裏手にある居酒屋への近道をしようとして私は見てしまった。
救急外来の建物外の暗がりで熱烈なキスをしている布川先生の姿を。

暗かったからよく見えなかったけれど、お相手は水色のブラウスに花柄のフレアスカートの若そうな女性だった。

のぞき見していたと思われるといやだからさっさと逃げましたけど。



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