燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
 「妃羽里は何をやっても本当に覚えるのが
早いわね。修得が早いうえに技量も高いから、
母娘揃って教師の看板を掲げられる日が近い
と思うと、お母さん楽しみだわ」

 古都里は下手だと、否定された訳じゃない。

 けれど、誇らしげにそう話す母の横顔はあ
まりに遠く、人生でこの時ほど『寂しい』と
感じたことはなかった。もちろん、姉のこと
を大好きだと思う気持ちは変わらなかったけ
れど……姉ほど期待されていない自分が箏の
練習に励んだところで、母はきっと喜んでく
れないだろう。そう卑下してしまった古都里
が心から箏曲を愉しめるはずもなく。姉との
差はどんどん開いていき、やがて高校に上が
るころには古都里が箏に触れることは少なく
なっていた。

 コツコツと、履き慣れないパンプスの音を
遠くに聞きながら古都里はまた、息をつく。

 もしも、自分が姉に気後れすることなく、
純粋に箏を愉しめていたら、母は教師の看板
を下ろさずに、続けてくれただろうか?姉の
事故を機にすっぱりと箏をやめてしまった母
を、心のどこかで恨んでしまっている自分が
いる。そんな自分が傍にいるから、きっと母
の悲しみはいつまでも癒えないのだろう。

 古都里はあの日からずっと居場所を失った
まま、独りぼっちだった。


 倉敷アイビースクエアの広い駐車場を左に
見ながら、コンサートをはじめ演劇や講演会
など、さまざまな催しが行われる倉敷市民会
館の前を通り過ぎる。通り過ぎようとしたそ
の時、ふとある光景が目に飛び込んできて、
古都里は思わず足を止めてしまった。建物の
入り口付近を見やれば、金襴、銀襴を使用し、
多様な模様を浮織(うきおり)した紋織物に包まれた
百八十センチ程の長い何かを、男性がライト
バンに積み込んでいる。


――遠目でもわかる、馴染み深いそれ。


 「……箏だ」

 無意識にそう呟いた古都里は、コートに両
手を入れたままで、引き寄せられるように市
民会館の入口へと歩いて行った。

 鶴が羽を開いた姿を模したという倉敷市民
会館の入り口は、重厚感のある石造りの長い
屋根に覆われている。その脇に車を留め、箏
を積み込んでいた白いライトバンはすぐに走
り去ってしまった。もしかして箏曲の発表会
でもやっていたのだろうか?そう思い古都里
は自動ドアをくぐってみる。すると、入り口
に程近い大理石の壁にイベントスケジュール
が貼りだされていた。その前に立ち、数々の
ポスターを舐めるように見ていた古都里は、
「あっ」と声を漏らす。


 第六百八十二回 定期演奏会「天狐の森」  
 現代箏曲 生田流 大師範:村雨 右京


 白を基調としたシンプルなポスターの左下
には、箏曲の定期演奏会の日時が今日である
ことが示されている。

 「……まだやってる」

 古都里はエントランスホールの時計を確認
すると、中央の階段を上り演奏会が開かれい
る二階へと上がった。
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