燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
 疾うに演奏会が始まっているからか、二階
のフロアは人気がなく静かだった。だからか、
耳を澄ませば分厚い劇場扉の向こうから箏の
音色が聴こえてくるような気がする。古都里
はその音に吸い寄せられるように受付に歩み
寄った。受付に立っていた着物姿の女性が、
近づいてくる古都里を見て僅かに目を瞠る。

 古都里は着ていたコートを脱ぎ、くるりと
裏返して手に持つと、「あのう」と声を掛けた。

 「こちらのホールで開催されている箏曲の
演奏会を聴きたいんですけど……もう当日の
チケットなんてないですよね?」

 おずおずと、ダメ元でそう訊ねた古都里に、
受付の女性は意外にも「いいえ」と首を振っ
てくれた。

 「当日チケットはございますよ。でも午後
の部も半分以上終わっておりますので、あと
三曲ほどしか聴けませんが、それでも宜しい
ですか?」

 黄緑色のプログラムを手に取って見せてく
れた女性に、古都里は一笑する。たった三曲
でも構わないと思うほど、どうしてか無性に
箏の音色が聴きたかった。

 「三曲で十分です。あの、チケットはおい
くらですか?」

 慌てて鞄を開け、財布を取り出す。今日は
持ち合わせがそんなにないけれど、足りるだ
ろうか?ちらりとそんなことを思った古都里
の耳に「税込みで千円になります」と、軽や
かな女性の声が届く。

 「えっ、千円?安くないですか?」

 思わず声をひっくり返してしまった古都里
に、ふっくらとした唇が魅力的でやさしそう
な女性は、ふふっ、と小首を傾げて見せた。
 そして古都里からお金を受け取ると「はい」
と、チケットとプログラムを渡してくれる。

 「指定席などはありませんので、空いてい
るお席にどうぞ。念のため、会場に入る前に
携帯の電源をOFFにしていただけると助か
ります」

 「わかりました、電源をOFFですね」

 言われるままに鞄から携帯を取り出して、
電源を長押しする。そして女性に会釈をする
と、古都里は漏れ聴こえる箏の音に耳を(そばだ)
ながら扉を開け、会場に入っていった。

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