燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
第二章:蒼穹のひばり
 重い劇場扉を押し開け会場に足を踏み入れ
ると、懐かしい音色が辺り一面に響き渡って
いた。古都里は得も言われぬ想いにはち切れ
そうになる胸を抑えながら、緩やかに下って
いる通路を進んだ。

 そうして通路側の空いている席に腰掛ける。
 観客席の照明は落とされているが、舞台か
ら煌々と漏れる灯りで視界は広い。周囲を見
渡せば、どうやら観客席の八割以上が埋まっ
ているようだった。

 古都里は舞台を向くと、和楽器ならではの
繊細で柔らかな音色に耳を傾けた。


――シャン、コーロリン、リン、ツテトン♪


 箏爪が軽やかに絃を弾く。
 その音を引き立てるように、尺八が低く風
を切るような音色を奏でている。

 聴こえてくるのは盲目の天才箏曲家、宮城
道夫が作曲した「春の海」。お正月などによく
耳にするあまりにも有名な曲だ。古都里がこ
の曲を習う前に母は看板を下ろしてしまった
から弾いたことは一度もないのだけれど……。

 目を閉じれば在りし日の光景が、瞼の裏に
浮かぶ。柔らかな陽が射し込む二階の畳部屋
で、姉と順番に箏を奏でた日々。

 母の師事する家元は山田流で、指に嵌める
箏爪の形は四角ではなく、先の尖った丸爪だ
ったけれど。丸爪が奏でる強く豊かな音に合
わせ、歌を歌ったあの頃が懐かしい。お稽古
が終わる頃には正座をしていた足がびりびり
と痺れてしまい、いつも姉と悶絶していたこ
とを思い出した。

 知らず頬を緩めていた古都里は、静かに目
を開ける。曲が終わり客席から一斉に拍手が
送られる。古都里も感嘆の想いで拍手をし、
深々と頭を下げる演奏者たちに目を細めた。
 
 やがて舞台と客席とを仕切る緞帳(どんちょう)が下りて
きて、その幕の向こうで次の曲目の準備をす
る気配を微かに感じる。黄金色の空を背景に、
白い鳥たちが優雅に舞っている緞帳を眺めて
待っていると再び幕が上がり、古都里も良く
知るアニメ映画のテーマソングが流れ始めた。

 もののけと自然を司る神々が人の在り方を
戒め、最後には互いを認め合う壮大な物語だ。

 古都里も母の家元が主催する発表会に毎年
参加していたのだが、その会は古典曲などの
歌ものが主だったので現代曲を弾いたことは
なかった。古都里は新鮮な心持ちで会場を包
む優美な音色に耳を傾けると、曲の終わりと
共に盛大な拍手を送った。

 そうして、いよいよ最後の演奏が始まる。
 どきどきと高鳴る胸を抑え、呼吸を整えて
待っているとやがてゆっくりと幕が上がった。

 ピンと張りつめた静謐な空間に、シャン、
と合図のような音が鳴る。その音に合わせて
演奏者たち一同が頭を下げる。そして、拍手。

 その音が鳴りやむと、再び静寂を取り戻し
た空間に箏の音色が流れ始めた。けれど会場
の空気を揺らしたその曲は、いままで古都里
が聴いてきたどんな曲とも違っていた。
< 13 / 122 >

この作品をシェア

pagetop