燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
第四章:遣らずの雨
 「一通り指は動くようになったみたいだね。
第一箏はそれほど難しくはないから、本番は
弾き始めだけ皆と呼吸を合わせるように気を
付ければ大丈夫そうかな。じゃあ最後にもう
一度初めから弾いてみようか。週末の合同練
習は古都里さんにも参加してもらうつもりで
いるから……って古都里さん、聞いてる??」

 「えっ?あ、はい。主奏の尺八が入ってき
たら、少し控え目に弾くんですよね?大丈夫
です。聞いてます。あれっ、違いました??」

 「それもさっき言ったけど。いま僕が言っ
たのは、弾き始めのタイミングのことだよ」

 「……すみません。聞いてませんでした」


――朝食を食べ終えたあとのお稽古で。


 つい、ぽやっとしてしまった古都里に右京
は眉を顰めている。その右京に、しゅん、と
肩を竦めると、古都里は、怒っても笑っても、
眩しいほどに美しい右京の顔を覗き見た。

 お弟子さんがいない時は、好きなだけ箏に
触れて構わないという言葉通り、古都里は朝
に晩に箏に触れている。そしてその度に右京
が付き添い、箏の指導をしてくれたお陰で、
古都里の腕はみるみるうちに上達していった。

 週に二回どころか、毎日愉しく練習に勤し
んだ甲斐あって、次の演奏会には古都里も参
加することが決まっている。

 しかも、演奏する曲目は古都里が感涙した
あの『蒼穹のひばり』。右京からそのことを
告げられた時は、歓びで天にも昇る心地だっ
たのだけれど……。

 数日前、思いがけず知ってしまった右京の
『奥さん』の存在が、どうしても頭にこびり
付いて離れてくれなかった。なので古都里の
意識が他所へ飛んでしまう理由は、柔らかな
陽が射し込むお稽古部屋に眠気が差してしま
うわけでも、決してやる気がないわけでも、
ない。何となく、右京に忘れられない奥さん
がいると思うだけで心の中がモヤモヤしてし
まい、そもそもどうしてモヤモヤしてしまう
のか?その理由がよくわからないからだった。

 「すみません。気合い入れて頑張りますっ」

 古都里はガッツポーズをして見せると、気
を取り直して絃に爪を添える。その姿にため
息をひとつ吐くと、右京は席を立ち古都里の
傍らへとやってきた。

 「もしかして寝不足かな?熱があるわけじ
ゃなさそうだけど……」

 そう言って、右京が自分の額に触れながら
古都里の額に掌をあてる。

 始めこそ改まった言葉遣いで、どこか他人
行儀だった右京だが、ここに住み始めるとす
ぐに気さくに話してくれるようになり、その
ことを、古都里は内心嬉しく思っていた。

 けれど、右京との距離が縮まることを喜ん
でいる自分に、都度、戸惑ってしまう自分も
いたりする。
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