冷徹官僚は高まる激愛を抑えきれない~独占欲で迫られ懐妊いたしました~

 目を覚ましたのは、朝日がすっかり昼間の陽射しに変わってからだった。

「直利さん……?」

 広いベッドの、どこにも彼はいない。
 部屋着を身につけリビングへ行くと、書き置きと保温ポットが置いてあった。

『少し用事で出かける。ポットはコーヒー』

 それだけの簡素なメモ。
 横にはいつの間にか彼がサイン代わりに書くようになった、小さなウサギの絵。くすっと笑い、のんびりとカフェオレを飲む。

 テレビもつけない。
 スマートフォンは電源を切っているし、あるのはシンとした静寂と、窓ガラス越しに入ってくる秋の陽射しだけだ。

 まるでなにも起きていないみたい。

 ベーカリーにはかえって迷惑をかける可能性があるから、しばらく休みをもらった。佐野さんは「問題ないですよ!」と言ってくれたし、むしろ心配してくれているのだけれど……。

「早く解決しないかな……」

 なんとなく、黒部総理はそういった勢力と付き合わなさそうだと思った。祖父だから、という欲目があるのかもしれないけれど……。

 と、そのときインターフォンが鳴る。びくっと肩を揺らし、モニターまで小走りに向かう。知っている人でなければ、絶対に反応するなと言われていたそこに映っていたのは……。

「鹿沼千鳥さん」

 思わずモニターを凝視する。
 出るべきか、出ないべきか……。
 でも、彼女はいちおう直利さんの親戚にあたるらしい。大叔父さんの従兄のお孫さん、とかなりの遠縁とのことだったけれど。

 ということは、なんらかの用事があってここに来た可能性もある。

「……はい」

 緊張をさとられないように気を付けつつ通話ボタンを押すと、彼女はツンとした声と表情で告げた。

『鹿沼です。総理についてとっても大切なお話があるの。開けていただける?』
「……どうぞ」

 とりあえずエントランスの自動ドアのロックを解除する。エレベーター前にもガラスの自動ドアがあるから、それも解除して──そうしてようやく、玄関のインターフォンが鳴った。
 ドアを開ける。
 千鳥さんは私を押し退けるように、一歩玄関に踏み入る。ぱたん、とその背後でドアが閉まった。
 彼女に押しのけられた反動で、壁に背中を軽く打ち付けた。

「痛……」

 思わずつぶやいた視線の先、千鳥さんは私を見下ろし頬をひくつかせている。怒りで、じゃない。笑ってしまうのを耐えている表情だった。

「……今日はどういったご用事ですか?」
「用事」

 はん、と鼻で笑い、彼女は続ける。

「たいしたことじゃないわ。引導を渡しに来たの」
「引導……?」
「そう」

 自信たっぷりに、千鳥さんは胸を張る。

「結婚式で言った、彼の本命……それはあたしのこと」
「嘘。違うって直利さんが言っていたもの」
「そりゃあ、違うって言うわ。あたしと彼、血の繋がりなんかまったくないって言い切っていいくらいの親戚よ。それでも一応は、親戚で身内」

 ふふっ、と千鳥さんが笑う。

「あたしと直利さんが付き合い、結婚することに口さがない連中がなにを言うかくらい、想像がつくわ」
「……」

 本当のことだろうか?
 私は千鳥さんを見つめた──嬉しくて仕方ない、という顔をしている。

「実はね、あたしも結婚するの。もちろん政略結婚よ」

 はあ、と曖昧な言葉を返す。

「でも産むのは直利さんの子よ」
「なっ……」
「あなたは、あたしとのことを隠すためのカモフラージュ。黒部総理に仲のよさをアピールするために、子供をも作ろうとしていたかもしれないけどね」

 その言葉にハッと彼女を見る。千鳥さんは目の端を不快そうにぴくっと動かした。

「……そう、してたのね」

 混乱する。
 直利さんは、もともと優しい。ウサギだった私は、それをよく知っているし──最近は甘く接してくれてさえいる。

 でも……結婚式ですら「野暮用」になってしまう私と、子供が欲しいなんて思ったりする?

『お互い、気持ちのない結婚だ。不快な思いをしないために、干渉し合わないようにしよう』

 私と過ごすのは、直利さんにとって「不快」でしか、なかったのかな。

 甘く抱いてくれたのも、馬に一緒に乗ったのも、全部全部、私の祖父へのアピールのため……なの……?

 愕然としている私に向かって、千鳥さんは続ける。

「でももう、その必要はないわ。黒部総理にゴマをする必要がなくなったんだもの。ひどいスキャンダルよね! 致命的だわ。近いうちに退陣するとのことよ」
「……えっ」

 あはははは、と千鳥さんは哄笑し目を細める。

「早く別れてあげて? あなたはもう用なし」

 千鳥さんが私の肩を掴む。

「わかってるわよね? あなたは政略結婚の花嫁なのに、もう彼の役には立たないの」

 そう言いながら、彼女は玄関のドアを開く。

「心配しなくても、彼の子供はあたしが産むわ」

 するりと彼女は出て行って──

 ぱたん、とドアが閉まった。

< 40 / 61 >

この作品をシェア

pagetop