英雄閣下の素知らぬ溺愛
「ああ、そろそろ開演の時間のようだ。この場を譲ってくれた母のためにも、楽しんでくれると嬉しい」



 そう言ってこちらを見るアルベールの姿を最後に、周辺の灯りが一気に小さくなり、オペラハウス全体が薄暗くなる。静まり返った空間の先、そこだけ明々と照らされた壇上に、主役であろう一人の美しい女性が現れて。
 カミーユの意識は、一気にそちらへと奪われていった。

 次々に壇上に現れる、登場人物に扮した人々。奏でられる音楽に、耳を震わす歌声。
 優しく、力強く、そして幻想的で。大好きな小説を読み、頭の中で広がっていた世界がそのままこの場に現れたような、そんな舞台であった。

 劇の間に挟まった休憩時間も、カミーユはただぼんやりと壇上を眺める事しか出来なかった。耳や目、頭に残る余韻に浸っている内に、気付けば第二幕へと移り変わっていく。

 そのため、夢見心地に動けずにいる自分を、それはそれは愛おしそうに見つめる視線にも、気付くことはなかった。

 物語も終盤へと差し掛かり、終幕に向けて緊張を強いられる場面と曲調に、カミーユは身を乗り出すようにして壇上を見守った。

 長い旅の末、最後の敵であるドラゴンを倒し、しかし愛する少女がいないと絶望する青年の姿。嘆き悲しむ姿に胸がいたみ、しかし次の瞬間、彼を包み込むようにして咲いていた薔薇の花が、愛しい少女へと姿を変えていって。

 二人の再会のシーンは何とも感動的で、カミーユは知らずその目に涙を溜めて、再び出会えた彼らの幸せを自分の事のように喜んでいた。何度も読み返した小説で、その内容をすでに知っていたにもかかわらず。
 本当に素敵だと、そう思ったから。



「……本当に、ベルクール公爵夫人には、感謝してもしきれないわ……」



 こんなに素敵な舞台を、こんなに素敵な席で見ることが出来るなんて。
 徐々に会場に灯りが戻り、響き渡る拍手の音に自分の声さえも聞こえなくなる中で、カミーユは小さく呟いた。

 ティーパーティには、例え体調を崩したとしても、絶対に出席しようと、そう決意を新たにしながら。

 それからしばらくは拍手の音が鳴り止まず、人々が家路へと着くざわめきへと変わっていったのは、思った以上に時間が経った後だった。

 興奮冷めやらぬ様子で言葉を交わしながら去って行く人々の気配を感じつつ、カミーユもまた、名残惜しくその舞台を眺める。まるで夢のようだったと、本当にそう思った。それほどに、素敵な舞台であった。
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