聖なる夜に新しい恋を

熟成




(わあ、外まで香りしてきてる)


 送られてきたリンク先のお店は、チーズとワインの専門店だと書かれていた。湯島にあるその店の前に到着すると、流石は専門店、漂ってくる香りはおいしそうと乳臭いの間といったところで、嗅ぎ慣れない香りだ。店の外に人影は無く、彼はまだ到着していないようだ。

 社用スマホに目をやれば、メッセージに対して課長から既読代わりのいいねが付いていた。向こうの年末挨拶もひと段落したのだろうか。心配しても無駄だ、どうせこれから飲み会なのだ。酔いどれのおっさん達の姿が目に浮かぶ。


(課長、二日酔いだろうなあ……。明日の朝ちゃんと来れるかどうだか)


 連絡を入れたとはいえ、ひとりで決裁に臨んだからには、上司である課長へは早めにフィードバックしておきたい。ひと通り仕事のことを振り返ると、社用スマホをポケットにしまった。
 短い髪では守りきれない首元を、冬の風がなぞってゆく。夜になって、昼よりもビル街の木枯らしが冷たい。薄手のタートルネックに指を掛け、風から守るように引き上げた。


「ごめん、待った?」

「!……今来た、ところ」


 ふいに声がやって来て、彼の到着を告げた。彼のすらりとした長身は、無線イヤホンを首を傾げながら外す姿すらも様になる。

 不意打ちは心臓に悪い。焦って変なところで言葉を区切ってしまい、不自然な口語を彼に返した。言葉遣いも取引先の社員様では無くひとりの異性としての口調に変えたが、いまだに慣れない。

 ……実のところ、こんなことになったのは生まれて初めてだ。和くんと付き合っていた頃だって、ドキドキはしたものの、分別のある自分を──“恋する自分”を演じられていた。だが、自分が彼へ好意を抱いているのに気付いてからというもの、息はうまく出来なくなるし、現実でも心の中でも何かが空回りしてばかりなのだ。


「寒いから早く入っちゃお。予約してるから。ほら」

「う、うん」


 反射的にそう返し、彼の開けたドアの中へと入ってゆく。お店へ足を踏み入れれば、外で嗅いだ香りがむわりと広がり、異国の空気に包まれた。
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