なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる

16.温泉街の観光

 朝、目が覚めた私は、すぐにカーテンを開けて外の景色を確認した。昨夜降った雪がうっすらと積もっているものの、天気は晴れていて観光には不自由しなさそうだ。
 そう、今日は私も旦那様もお休みの日。旦那様と温泉街を観光する予定なのだ!

 朝食と身支度を済ませた私は、旦那様に言われていた通り、宿舎の玄関口に移動した。兵士の方々は既に出勤した後なので、宿舎に人気は無い。

(旦那様、昨夜は遅くまでお仕事をされていたようだけど、大丈夫なのかな……?)
 心配しながら待っていると、程無くして旦那様が現れた。

「おはようございます、旦那様。昨日は遅くまでお疲れ様でした。お身体は大丈夫ですか?」
「問題ない。サンドウィッチは助かった。礼を言う」
「いいえ、お役に立てたのなら何よりです」

 宿舎を出て、旦那様の後ろを歩きながら、私はそっと旦那様の様子を窺った。顔色や体調も普段と何ら変わりは無く、疲れていらっしゃる様子も無さそうだ。流石は旦那様である。

「サラ、行きたい所はあるか?」
「行きたい所と言いますか、お屋敷の皆さんにお土産を買いたいのと、屋台で売っている食べ物が気になるので見て回ってみたいです」
「そうか。まずは土産物屋に向かうとしよう」

 旦那様に案内していただいて、温泉水で作ったとうたっているお菓子を試食して回ったり、名産だと言う木彫りの置き物や小物等を見て回ったりした。日持ちしない食べ物は予約をしておいて、帰る日に取りに来れば良いらしいので、とても便利だ。

(ハンナさんにはやっぱりお菓子が良いかな? リアンさん達にはお酒の当てになる物の方が喜ばれそうだな……)

 そんな事を考えながら買い物を楽しむ。お土産を選んでいる筈なのに、どうしても自分の好きなお菓子が気になってしまったり、自分の好みの可愛い小物に目移りしてしまったりする。折角だし記念に、と内心で言い訳をしながら、自分用も少しだけ確保してしまった。

「……随分沢山買うのだな」
「はい。皆さんにはいつも大変お世話になっていますから!」

 皆さんの分を選んで、店員さんに予約をお願いすると、旦那様に少し驚いたように言われてしまったけれども、いつも私に良くしてくださる皆さんに少しでもお礼と感謝の気持ちを伝えたいのだ。勿論、その中には旦那様も含まれているのだが、今はまだ内緒である。
 買い物が終わった頃には、お昼時になっていた。旦那様の後に付いて、屋台が沢山並んでいる場所に移動する。焼き立てのジビエ料理のお店はそこかしこにあるし、サンドウィッチやガレット、クレープや飲み物まで色々あって、あちこちから威勢の良い掛け声がし、良い匂いが漂ってきて、どれもこれも食べてみたくなる。

「ここの店の串焼きは中々美味いぞ。食べてみるか?」
「はい!」

 旦那様が買って下さった串焼きを受け取りながらお礼を言う。香ばしいタレを絡めた熱々のお肉は、噛むと肉汁が溢れてきて思わず陶酔してしまった。他にも旦那様がお勧めしてくださる物は、本当に全部美味しかった。流石は旦那様、舌が肥えていらっしゃる。私は食べられる物だったら大抵は美味しく感じてしまうからなぁ。味音痴と言われても否定はできない。

「お前は本当に美味そうに食べるな」
「はい。本当に美味しいので!」

 旦那様と一緒に買い食いを楽しんでいたら、お腹がいっぱいになってしまった。

「次は何処へ行く?」
「そうですね……。私が気になっていた場所はもうご案内していただきましたので、次はご迷惑でなければ、旦那様が行きたい所やお勧めの場所があれば、ご一緒したいです」
「そうか」

 旦那様が連れて行ってくださったのは、一昨日ジャンヌさんが案内してくれた温泉施設だった。旦那様は懐かしそうに建物を見上げる。

「ここは俺の母も気に入っていた温泉だ。来る度にほぼ一日貸し切りにして入り浸り、マッサージやエステを受けていた」
「か、貸し切り……!?」

 私は目を剥いた。人気があって大勢の人で賑わう温泉施設を一日貸し切りにするなんて、流石はキンバリー辺境伯家、としか言いようがない。

「俺は温泉に浸かる程度ですぐに観光に出かけて、母に最後まで付き合った事は無かったがな」
「そ、そうなんですね」
「折角の機会だ。お前もエステでも受けてみるか?」
「えっ、旦那様も受けられるのですか?」
 エステをされる旦那様が想像できなくて尋ねたら、旦那様は苦い顔で即答された。

「違う。俺は興味は無い。お前が体験してみたいなら、させてやろうと思っただけだ」
「そうでしたか。お気持ちは有り難いのですが、私では分不相応なので遠慮致します」
「そうか」

 温泉に入りに来たのかと思ったら、旦那様は踵を返して歩き出してしまった。旦那様のお母様の思い出に浸りに来たのかな、と思いながら、私も建物を後にした時だった。

 ドオォォン!!

 山の方から大きな音が響き、私達は驚いて振り返った。山の中腹辺りから、赤い煙が細くうっすらと立ち上っている。何が起きたのか分からなかったけれど、旦那様の焦ったお顔を見る限りでは、何か良くない事が起きたに違いない。

「サラ、急いで宿舎に戻るぞ! 戻ったらお前は部屋に居ろ!」

 そう言うが早いか、旦那様は宿舎に向かって駆け出して行った。私も慌てて後を追い掛けたが、旦那様の足に敵う訳が無く、どんどん距離が広がっていく。それでも転がるようにして坂を駆け下りていると、宿舎の手前で馬に乗って引き返して来た旦那様とすれ違った。

「サラ! 送れなくて悪い! 様子を見に行って来る!」
「私の事は気にしないでください、旦那様! どうかご武運を!」

 見る見るうちに小さくなっていく旦那様の後ろ姿を暫し見送って、私は不安な気持ちで離れの部屋に戻ったのだった。
< 16 / 42 >

この作品をシェア

pagetop