なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる

21.旦那様の実験

 翌日、私は旦那様と一緒に、旦那様の職場である国境警備軍の本拠地に向かった。クヴェレ地方から帰って来たばかりで疲れているだろうから、後日でも構わない、と旦那様は仰ってくださったけれども、私が少しでも早く、旦那様のお役に立ちたかったのだ。
 それに、お屋敷と大して変わらない仕事をしていただけの私よりも、温泉街の警備をしたり、魔獣と戦ったりされている旦那様の方がお疲れになっている筈なのに、通常通り出勤されるのだから、私だけぬくぬくと甘やかされたくはなかった。

 国境警備軍の本拠地である砦は、国境である大きな川沿いに建てられていた。川の向こうは森になっていて、魔獣がうようよと棲みついているらしい。数が増え過ぎたり、冬場になって餌が少なくなったりすると、獲物を求めて川を渡り、人の居住域に来る事があるそうだが、昼夜問わず交代で砦から見張っているので、殆どの場合は魔獣が川を渡り切る前に掃討する事ができるのだそうだ。頼もしい限りである。
 大きな門を通り抜けて、見上げる程高く聳え立つ石造りの砦に足を踏み入れる。独特の重々しい雰囲気に圧倒されながら、旦那様の後に付いて廊下を進み、旦那様の執務室らしい部屋に入った。

「その辺に適当に座って、少し待っていてくれ」

 旦那様が指し示したソファーに腰を下ろす。部屋の奥にある大きな机に積み上がっている書類を、次々に片付けていく旦那様に感心しながら大人しく待っていると、部屋の扉がノックされた。

「失礼致します、総司令官。お呼びと伺いましたが」

 入って来たのは、筋骨隆々で背の高い大柄な男の人だった。ただでさえ威圧感を感じる程の強面な上に、顔の左半分には火傷のような痕があり、私は思わず全身を硬直させてしまった。

「来たか。サラ、紹介しよう。国境警備軍第一隊隊長のラシャドだ」
「初めまして、ラシャドと申します」
「は、初めまして。サラと申します。旦那様のお屋敷で働かせていただいております」
 緊張しながら頭を下げると、ラシャドさんは微笑んだ。

「すみません、驚かせてしまったでしょう。私の顔が普通の人よりも怖い自覚はあるのですが、中々改善できないのです。申し訳ない」
「い、いいえ、少し驚いてしまっただけです。こちらこそ、お気を遣わせてしまって申し訳ございません」

 ラシャドさんは見た目は怖いけれども、私みたいな使用人にも礼儀正しく接してくださり、誠実そうな印象を受けて私の緊張は解れていった。だけど、黒髪を頭の後ろで縛ったラシャドさんの深緑色の左目に、何となく違和感を覚える。

「サラ、ラシャドは以前魔獣と戦った時に、顔に傷を受けてしまった。その所為で、左目は今は光を感じる程度で殆ど見えておらず、気温が下がると顔の傷も痛むらしい。ラシャドにお前のおまじないとやらをしてやってもらいたい」

 旦那様の言葉を受けて、私は改めてラシャドさんの怪我を見つめた。言われてみれば、ラシャドさんの左目は焦点が合っていない気がする。怪我の痕も左側の額の辺りから顎まであり、相当酷かったであろう事が窺えた。
(こんな怪我に、私のおまじないなんかが効く訳が……)

「気負われずとも大丈夫ですよ。既に医者からはこれ以上治る見込みは無いと匙を投げられていて、私自身ももう諦めています。これはあくまでも実験だと、総司令官からも伺っていますので、どうぞ気楽にしてください」
 気弱になっていた私は、ラシャドさんの言葉を聞いて、心が軽くなったのを感じた。

「はい、畏まりました。お気遣いありがとうございます」

(もし、私のおまじないに、本当に効果があるのなら……、この優しい方の怪我を治したい)
 私はそう強く願いながら、紙とペンを取り出し、模様を描いていった。額に押し当てて祈りを捧げ、その紙をラシャドさんの左目に当てて、包帯を巻いて固定していく。

「では明日、効果の程を見てみるとしよう。ラシャド、不便だろうが、その間包帯は外すな」
「心得ました」

 本当にこんな事で、ラシャドさんの怪我は良くなるのだろうか。私は不安で堪らなかった。

 その日はそのまま帰宅した私は、翌日、再び旦那様と砦を訪れた。昨日と同じ部屋で、ラシャドさんの包帯を外していく。少しずつ見えてきた火傷のような怪我の痕が、何となく昨日よりも薄くなっているように見えるけど……、きっと気のせいだろう。
 完全に包帯を取った時、私が描いたおまじないの紙がはらりと床に落ちた。その紙は何故か真っ二つに破れていた。

「どうだ? ラシャド」

 旦那様に促され、ラシャドさんは右目を手で隠して、ゆっくりと目を開けた。と同時に、驚いたように息を呑む。

「……明らかに、昨日よりも見えるようになっています。ぼんやりとですが、人の形が分かります」
「……!?」
 ラシャドさんの返答に、私は愕然とした。

(嘘……!? まさか本当に、私のおまじないが効いたとでも言うの……!?)
 当惑して立ち尽くす私の前で、旦那様がラシャドさんの目の前に手を突き出す。

「ラシャド、俺が今、何本指を立てているか分かるか?」
「えっと……、私の前に手を出されているのは何となく分かるのですが、指の数までは……」
「そうか。サラ、昨日と同じ事をもう一度してみてくれ。そしてまた、明日どうなっているか確認しよう」
「は……、はい」

 私は動揺しながらも、昨日と同じ手順でおまじないをラシャドさんに施した。本当に私のおまじないの効果なのか、そして今度も効くかどうかは分からないのに、ラシャドさんに深く頭を下げてお礼を言われてしまい、私は更に困惑してしまったのだった。
< 21 / 42 >

この作品をシェア

pagetop