この胸が痛むのは
俺には違和感があった。
一度だけだが、俺は高等部の友人の邸のパーティーで催眠術を見たことがあった。

術師は自分を囲む着飾った貴族達の中で。
無作為に1人の男を選んだように見えたが、それが本当に無作為だったか、うるさく言うような奴なんか居ない。
直前に周囲に紛れ込んでいた初めて見る男だが。

たかが余興だ、主催の当主を怒らせる事もない。
無事に術を掛けられた男が猫になって鳴く様を。
明るい照明の下で皆が気楽に、雑談混じりに眺めていた。


あれはこんなにゆっくり時間を掛けて進めてはいなかった。
アグネスは一度も見たことがないと言っていたから、知らないのだ。
……これは何だ?
これは……催眠術なんかじゃない。



暗くて深い闇と蝋燭だけの明るさ。
落ち着けるように静かに言葉を掛けて。
心を解すように温かな掌を合わせて。


先生と、アグネスと同じ名を持つこの女性は、
催眠術と称して何の術をアグネスに掛けようと
しているんだ?
妖しの国の、幻術なのか。


それでも催眠状態に入ったのだろうか。
アグネスの右手から完全に力が抜けた。
伏せられた金の長い睫毛がチリチリと震えている。


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