さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
 お互いに気が合ってなんて嘘。結婚したいだなんて嘘。愛し合ってなんていない。律樹に嘘をつかせたのは光莉なのに、彼の嘘に傷つきながら、父を騙していることに胸がちくちくした。一週間後、検査を終えて自宅で療養することになったあとも、結婚の話をするたびに申し訳ない気持ちだった。

 江戸時代から続く名家・常盤家の慣習では、まずは数ヶ月、本家に滞在し花嫁修業をするらしい。それを終えたら挙式を行うことになっている、と告げ、簡単に荷造りをして東京へ出てきた。別れの挨拶もそこそこにさっさと去って行った娘のことを、幸雄は今どんな気持ちで想っていてくれるだろう。信じてくれていることを願うしかない。
「光莉」
 名前を呼ばれてハッとする。
 律樹が肩を抱こうとする。光莉はとっさに身を強張らせた。それが伝わったらしい。彼は手を引っ込め、その代わりに光莉の手を引いた。
「緊張しているのか? あれほど威勢がよかったのに、今は借りてきた猫みたいだな」
 揶揄するように言われて 、光莉はついムッとする。
「それは、あたりまえよ。私は一般家庭で育ったわけだし、初めてお会いするわけだし」
「心配するな。顔合わせの挨拶をしたら、今日はそれで終わりだ」
「……うん」
 そういえば、律樹だって元は一般家庭だったのだ。母親が亡くなったあと、この家に連れてこられたときの気持ちはどんなものだったのだろう。
「何か気になることがあれば言えばいい」
「りっちゃ……律樹さんは、この家に入るときに怖くなかったの」
 封印した名前を呼んでしまいそうになり、光莉は慌てて言い直した。
「そんな場合じゃなかったからな。当時の俺に拒否権はなかった。それからは、世話になった分、恩返しのつもりで、常盤家の長男として父の期待に応えられるようにした。まぁ色々あったが……あっという間の時間だったよ」
「そう、でしょうね」
 常盤グループの中で地位を築くことがどれほど大変か実際のところはわからないが、並々ならぬ研鑽が必要だろうということは想像がつく。時間に追われるように、彼は努力を続けたに違いない。それこそ、人が変わってしまうくらいに。
「行くぞ」と促され、光莉は頷く。
 門が開き、長いアプローチを行くと、玄関の前で燕尾服を着た男性が待機していた。
「おかえりなさいませ」
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