さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
 律樹と共に彼の書斎へと行き、光莉は婚姻届けにサインと判を押した。
「これは、俺が預かっておく」
 光莉は脳裏に父のことを思い浮かべながら、頷いた。
 それから、律樹は書斎を出ると、邸の中をひと通り案内してくれた。
 応接室、大広間、茶室、離れの庭や池、弟夫婦の部屋、光莉が住むことになる部屋――。
「夫婦の寝室は一応ここ」
 一応、という言葉に光莉は照れる間もなかった。形だけの夫婦なのだから、そういうことはないのだろう。
「あとは暮らしているうちに、慣れていくだろう。わからないことがあれば執事の田中やメイド長の白井に声をかけるといい」
「私がすることは?」
 掃除や洗濯や料理といったことはすべて使用人がしてしまう。
「父さんが言っていたように、君には常盤家長男の妻として相応しく振る舞ってもらうこと……といっても、色々あるから、それは追々ということにしよう」
 改めて光莉は現実を受け止める。
 ここが新しい自分の城――。
 もう後戻りすることなんてできない。
 山谷光莉は、山谷食品の名前を守るために、その名前を捨てた。これからは、常盤光莉として生きていくしかないのだから。 

◇4 やんごとなき人々とドアマットヒロイン

「ねえ、光莉さん。あなたに女主人の代わりが務まるかしらね」
 光莉が常盤家に入ってからちょうど一週間が経過し、十月半ばを迎える頃――。
 朝支度を済ませてリビングに顔を覗かせると、ばったり会った麻美にいきなりそんなことを言われた。麻美はいつも美貌を活かした派手な衣装に身を包んでいる。それが彼女の自信の表れのように見えた。
 常盤家には現当主の妻は存在しない。本妻とは離婚、そして既に亡くなっている。また、パーティー会場で耳にしたとおり、律樹の母や異母弟である雄介の母は愛人であるため、この家には入れてもらえず、それぞれ疎遠になっているらしい。
 つまり次期当主候補筆頭の律樹の妻である光莉には、女主人の役割を期待されているといっても過言ではない。
 実は今日の十一時頃、常盤家が昔から親しくしている佐川(さがわ)家当主の妻である貴美子(きみこ)と有名私立中学に通う十四歳の娘・麗華(れいか)が遊びに来る。おもてなしは顔見せも兼ねて、律樹と光莉に任されることになったのだ。
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