さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
「素敵」
 令嬢からため息がこぼれる。彼女が見ているのはヴァイオリンかそれとも律樹か。その両方か。きっと光莉のことは見えていないかもしれない。そして光莉自身も、ヴァイオリンと一体になりながら、律樹のことを感じていた。
 初恋の記憶は封印するのだと、そう決めたはずなのに、何かの弾みにこぼれてきそうになる。彼にとっては、当主との交換条件で政略結婚を望んだだけ。そして、できたら旧友である光莉を助けたいと思ってくれた。ただそれだけのことなのに。勝手に、自分の都合のいい方に考えてしまいたくなる。
 不意に視線が絡んで、光莉の頬に火が灯った。すると伏し目がちだった彼の目が少し大きく開かれ、その弓を止めそうになる。彼の頬も心なしか朱に染まる。再会してから初めて見る表情だった。
 そんな顔を見たら、期待してしまいそうになる。彼の心が、少しでも光莉を見てくれているのではないか、と。そうでないなら、今こそが夢の続きなのかもしれないとさえ思った。
「まあ」
「見ているこちらが照れてしまいますわね」
 麗華と貴美子が親子揃って頬を染めていた。一方、麻美は険しい表情で口惜しそうにこちらを睨んでいた。
 そんな光景すらもすぐに吹き飛んでしまいそうなほど、光莉は全神経で律樹のことを感じていた。
 心だけはどうしても抗えない。その証拠といわんばかりに、早い鼓動は音色が止まったあともずっと奏でられたままだった。

「――おねえさま、また一緒に演奏しましょうね」
 律樹のフォローで感覚を取り戻した光莉は、麗華と一緒に簡単なデュオ曲を演奏した。
 麗華に握手を求められ、光莉は笑顔で応じる。
「はい。麗華様に負けないように、もっと練習しておきますね」
「ええ、約束よ」
 指を差しだされ、光莉はその華奢な指に自分の指をそっと絡めた。
「まあまあ、仲良くしてくださって、とても素敵な時間をありがとうございました」
 貴美子が朗らかに笑顔をたたえ、麗華の手を握った。
「こちらこそ、またいつでもお越しください」
 律樹が鷹揚に微笑み、光莉の肩を抱く。
 運転手が控えていて、麗華と貴美子が乗り込み、邸の外へと出て行くまで見送る。
 光莉は遠ざかっていく車を見ながら、ホッと胸を撫で下ろす。なんとか役目を終えられそうでよかった。そのまま脱力してしまいよろよろと座り込みたくなった。
 光莉は改めて律樹に向き直った。
< 51 / 132 >

この作品をシェア

pagetop