さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
 しかし颯太が手を振り続けているのを無視するのはかわいそうに思えた。律樹はもう前を向いてしまい気付いていない様子だ。光莉はこっそり、颯太に手を振り返した。
 この長澤颯太の存在は、今後、光莉に大きな影響を与えることになっていく。それをこのときの光莉はまだ知らなかった。

◇5 想定外のプロポーズ、変化していく関係

 十月末、光莉が嫁いでから二週間が経過したある日、常盤家主催の秋のお茶会が行われた。
 この日、律樹はやむを得ない出張で不在。光莉はひとり、朝から麻美にいつものごとく罵声を浴びせられながら準備に奔走し、ようやくお開きを迎えたのだが――。
(やっちゃったなぁ……)
 新聞紙に包んだ茶碗と熱を失った茶器の前で、光莉は項垂れていた。
 お茶会は終わったというのに着物や足袋を脱ぐ気にもなれず、ひとり裏庭に面した縁側に座り、ため息をつく。修蔵がコレクションとして大事にしていた茶碗だということをあとから知り、光莉は大変なショックを受けていた。修蔵がこのことをどう思うか。罰を与えられるのは自分だけでいい。律樹に咎がいかなければいいと願うしかない。

 振り返ること数時間前――。
 お茶会の事前準備というのは何かと忙しかった。季節や開催月によって茶室に用意する花や和菓子、茶碗などすべてが変わる。四季折々を感じながらお茶を戴くという伝統文化があるためだ。名家・常盤家では季節の変わり目には必ずお茶会を主催し、古くより付き合いのある大事な客人を招くことになっている。
 秋のお茶会がもうすぐだという話を聞いて、茶道およびお茶会の知識を深めようと日々勉強していた光莉だったが、付け焼刃では対応できるものではない。何をやればいいかわからず右往左往しがちなところ、麻美があれこれと光莉に指示を出してくれていたのは助かった。だが、麻美は口を出すだけで一緒に動いてはくれない。耳慣れない言葉だけで指示されたことすべてをこなすのは難しかった。時間に追われる中で、お茶会の時間は刻々と迫り、着物を着た客が集まりはじめていた。
『光莉さん、例の茶器は用意してくれたかしら?』
『こちらのお茶碗で間違いないでしょうか?』
『あなた何を聞いていたの? 今日は山菊のお茶碗といったでしょう。それは山茶花よ。山菊と山茶花の違いもわからないの? そっちよ、そっち』
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