さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
 麻美が視線や顎で誘導する。さっき彼女にはたしかにこちらの茶碗だと言われたのに。腑に落ちないながらも、言い訳をすればまた何かを言われるだけなので、光莉は急いで別の茶器が入った木箱を手に持った。
『こちらで間違いないでしょうか?』
『ええ、そうよ。ほら……亭主が手ぶらでは困るでしょう。早く準備しないと。お客様をお待たせしているのよ』
 亭主というのは茶会における主催者のことで、この日は出張の律樹にかわって雄介が務めていた。だが、実際のところ、場を仕切っていたのは麻美だった。
 始まりの時間が近づくにつれて、だんだんと麻美の表情は険しくなっていく。光莉は焦っていたが、素人目から見てもわかる高級な茶器を手に取ると落とさないように大事に抱え、亭主である雄介の席へと運んだ。
 すると、雄介に手元にあった茶道具の一式を下げるように言われて運ぶことになる。客は茶室へと案内されはじめていた。
 茶器を手に廊下を戻っていると、正面から足早に麻美がやってくるのが見えた。到着した客を迎えに行くのだろうか。裏方仕事には一切手を動かないくせに、そういうところはちゃんとしている。感心してしまうくらいだ。
 麻美は光莉の姿を捉えると思いっきり顔をしかめる。
『茶碗ひとつ運ぶのにどれだけ時間がかかってるのよ! この、のろま女!』
 麻美がすれ違いざまに暴言を吐いた。
 嫌味は慣れているからぐっとこらえてその場から移動しようとしたのだが、そのとき光莉は麻美がすっと前に出した足に躓き、あっという間もなく派手に転倒してしまった。慌てて茶器を抱こうとしたが、間に合わなかった。悲鳴と共に割れた音が響き渡っていた 。
『お義父様の大切なものなのに。光莉さん、あなたはなんてことを!』
 麻美には散々貶され、参加した来客からは白い目を向けられた。針のむしろ状態の光莉は萎縮し、とうとう洗い場の方に追いやられてしまった。切ってしまった指先がじんじん痛む 。
『麻美さんはやはり華がありますわね。貫禄が違いますわ』
『ごめんなさい。いつもは光莉さんもあんな調子ではないのですけれど……まだ嫁いで間もないものですから。少し大目に見ていただけないかしら』
『まあ、麻美さんったらお優しいこと。麻美さんがそうおっしゃるならもちろんですわ』
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