さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
 光莉は泥だらけのハンカチを握りしめ、ぼろぼろとこぼれた涙を拭いた。その傍らで、律樹の方が焦っていた。きっと泥がついて黒い涙を流している光莉に、律樹は困惑していたことだろう。
『そんなに泣くなんて思わなかったよ』
『だって……同じ人間だったらよかったのに。いなくなるなんて、二度と会えなくなるなんて、悲しいよ』
 光莉は律樹がもしもいなくなったら、と想像したら悲しくなってしまったのだ。多感な年ごろの想像力は心を揺り動かした。
『僕はありだと思うな。人間じゃなくても、二度と会えなくても、素敵な絆だと思ったから。たとえ見えなくなっても消えたとしても、いなくなるわけじゃないんだよ。ずっと心の中で魂は生き続けるんだよ。ずっと大事なまま、ふたりの宝物なんだよ』
 澄んだ瞳が揺れていた。彼の思慮深くやさしい心が好ましかった。彼が読書を好きな理由もわかった気がした。なおさら、彼がいじめられることを許せなかったし、彼を守りたいと思った。本の中の主人公のように、光莉にとって大事な人は、すぐ目の前にいる律樹なのだ。
『りっちゃん――私が、これからもずっと、りっちゃんを守ってあげるから』
 光莉は口癖のように告げた。
『それ、前にも聞いたし、そろそろ聞き飽きたよ』
 困ったように微笑んだ彼の顔は、今でも覚えている。ふたりの傍にあった金木犀からオレンジ色の花弁がひらひらと舞う。その花弁が光莉の泥だらけになった黒い涙に貼りついたのを見て、律樹が初めてお腹を抱えて大笑いした。その日のことを光莉は今でも忘れられない。
 そんなふうに控えめな律樹だったが、中学に入ると身長がぐんぐん伸びて、彼の美しい容姿はさらに磨きがかかり、今度は王子様に夢見る女子の憧れの対象になった。一方、男子にとっては羨ましい反面、憎らしい対象にもなる。いわゆる両面価値、アンビバレンス――愛と憎しみなどの相反する感情を同時に又は交替して抱からえる対象――になった。
 それでも当の本人は何ら変わらず、光莉の側でぬくぬくと陽だまりのようなマイペースさを保っていた。誰かを攻撃することも、反撃することもなかった。やがて相手は戦意喪失していく。それが彼のやり方だったのかもしれない。女子にあまり興味を持たないが、告白されても相手を無下にしたり傷つけるような言葉で振ったりはしなかった。
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