さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
 颯太に指摘され、光莉は左手の薬指をそっと撫でた。なくすといけないから公の行事がない限り、普段は部屋の引き出しの中に仕舞っているのだが、律樹が不在のときにこうしてはめていると、なんだか守ってもらっているような気がして心強いのだ。特に、不得意なお花やお茶の稽古事のときは励みになる。
「結婚指輪はしないんだね」
「それは……まだ結婚式をしていないから」
 色々なことがありすぎて結婚式について気にしたこともなかった。だからこそ、律樹が結婚式をしようと言ってくれ、あんなふうにプロポーズをしてくれたことが嬉しかった。婚約指輪がふたりの関係の変化を示しているようで、見るたびになおさら愛おしさが溢れる。
「ふうん。結婚式をするつもりなんだ」
「ふたりだけでするつもり」
「そう。その方がいいかも。色んな人に顔を見せるのは疲れるでしょ」
「そうだね」
 颯太と話をし続けていると、麻美の声が聞こえてきた。歌でも歌っているように聞こえる。
「あらあら、ねずみ、ねずみ。一体、どこのねずみかしら」
 麻美が箒を片手にそう言い、こちらを見る。
 颯太とふたりでいるところを見咎めているのだろう。いつもの意地悪だ。思わずといったふうに光莉は颯太と顔を見合わせ、肩を竦める。
「それじゃあね」
 足早に立ち去ろうとする颯太を、光莉は慌てて引き止め、手元にあった包みを渡す。生け花の先生が差し入れとしてくれたものだ。
「よかったらお団子持っていって」
「サンキュ。毒入りじゃないといいけど」
「入ってないよ」
 光莉がむくれた顔をすると、颯太はにっと笑って、去っていってしまった。本当に彼は忍びみたいだ。麻美の視線を感じたが、光莉は知らないふりをして邸の方へと戻って行った。
 律樹からのプロポーズを思えば、麻美からの意地悪など吹き飛んでしまう。
 それから浮き立つ気持ちで部屋に戻った光莉だったのだが――。
「な、何っ……」
 光莉が部屋の扉をあけると、目を疑う光景が飛び込んできた。
 整然と並べられていたはずの本や置物は散乱し、ふわふわと白い羽毛が舞っている。朝、使用人のひとりが活けてくれたばかりの花瓶は倒され、磨きあげられた床に小さな水たまりを作っている。
(泥棒……? いや、そんなはずは)
 セキュリティは万全なはず。外部の人間が容易に入ってこられる屋敷ではない。
(一体誰が?)
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