さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
 こんなに大きな敷地を持つ邸の中に猫くらい紛れ込むことはありえるかもしれないけれど、あのタイミングで閉じ込められたことが、どうしても引っかかるのだ。

 その日の夜――。
 別室に移った光莉はなかなか寝付けなかった。目を瞑ると猫の声が聞こえるような気がしてパッと眠気が覚めるのだ。
 律樹に相談しようと思ったが、いつもより帰りの時刻が遅くなるらしい。二十三時になるところだが、まだ帰宅する気配がない。
 部屋からそっと抜け出すと、メイド長の白井と遭遇した。無論、仕事中ではないので、作業着にエプロンといった姿ではなかった。
「どうされましたか?」
「何だか眠れなくなってしまって……喉が渇いたので」
「さようでしたか。では、少しお付き合いいただけますか? すぐにハーブティーをご用意いたしますので」
「白井さん、ハーブティーを好まれるんですか?」
「律樹様に用意を頼まれました。若奥様が眠れないときは淹れてあげてほしいと」
 白井は光莉を食堂へと連れて行き、さっそく準備をしてくれた。
 ハーブの入ったグラスポットにお湯を注いで蒸らし、少し待って黄金色に色づきはじめた液体を、ふたつのティーカップにゆっくりと注いだ。
「こちらは金木犀とカモミールをブレンドしたものです」
「金木犀……」
 光莉は思わず反応を示す。
「リラックス効果があるそうです。不眠にもよいのだとか……律樹様も好んでいらっしゃいますよ」
「そうなんですね」
 甘やかな香りを吸い込み、ハーブティーをさっそくいただく。この香りが、律樹にとっても大切な記憶の一部とリンクしていたら嬉しいな、と思いながら。
 自然と笑顔がこぼれていたのかもしれない。向かい合って座った白井がにこやかにこちらを見ていた。
「えっと?」
「おふたりはなかなかよい夫婦ではないかと思っておりますよ」
「そう、でしょうか?」
「ええ。なんだか昔の……若い頃の旦那様と奥様のことを思い出すのです」
 白井はそう言い、かつての彼らへ想いを馳せるように目を細めた。奥様というのは離婚後に亡くなったという本妻のことだろうか。
「旦那様はすっかり変わられてしまいましたが、昔は奥様を大事にされていたこともあったのですよ」
 白井は寂しそうに目を伏せた。
「奥様は……ご病気で早くに亡くなられたんでしたよね?」
「表面上はそうなっておりますが……」
< 76 / 132 >

この作品をシェア

pagetop