壊れるほどに愛さないで
ーーーーその時、とくん、と心臓が音を立てたのが分かった。一瞬で、心が引っ張られるような感覚に、思わず胸を抑えた。 

(あれ……?)

思わず、男性の顔をもう一度見る。

知らない人だ。
見たこともない。
会ったこともない。

それなのに、黒髪の短髪に、切長の瞳の男性から、途端に目が離せない自分がいた。鼓動は、理由も分からずに、とくとく早くなっていく。

「?……えと、どっかで会いました?」

男性は、不思議そうに首を傾けている。
少し高めの声も、何故だか聴いた事がある気がするのは何故だろう?

「あ、いえ、ごめんなさい。ちょっと動悸がして……」

「大丈夫ですか?」

男性は、長身を折り曲げるようにして、私の顔を覗き込んだ。その声と顔の近さにすぐに顔が火照りそうになる。

「……大丈夫、です。えと、これ……」

私は赤くなった顔を隠すように、30円を乗せた掌だけを男性に向けた。

「じゃあ、遠慮なく、有難うございます」

男性は、長い指で私の掌から30円を摘むと、アイスコーヒーのボタンを押し、自動販売機が、ガコンと音を、立てた。

「お陰で干からびずにすみました」

プルタブを開けながら、大袈裟に肩をすくめて笑う顔に、記憶の糸が、引っ張られそうになる。

私は、軽くお辞儀をして、男性から視線を逸らすと、自動販売機のミネラルウォーター のボタンを押した。

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