ピースな私と嘘つきなヒツジ
「…よかった。連れのフリしたらナンパ男たちどっか行ってくれたね。俺1人じゃきっと腕力じゃ敵わないだろうからちょっと怖かった…。」

男たちがいなくなった事に安堵し、張り詰めた緊張が溶けた様子が『はーっ』っと漏れた声と表情から伝わってきた。
男性にしては小柄なので、おそらく一対一でも敵わなかったかもしれない。
ヒーローのように助けてくれた男性だが、どうやら勇気を振り絞って声をかけてくれたようだった。そのおかげで千夏はナンパ男から逃れられたのだが、ナンパ男たちからいなくなった安心感で先ほど芽生えたばかりの危機感はどこかへ消えてしまい、再びふわふわと酔いが回り、カクンっと足の力が抜けた。

「ちょっと!しかっりして!」

男性は千夏が転ばないように腰に手を回した。先ほどのナンパ男たちのように千夏と密着する姿勢になってしまったが、先ほどの感じた不快感とは真逆で、彼から漏れてくる清潔感ある爽やかな香りにこのまま包まれたままでいたいと思った。

 (この声、なんど聞いてもキュンとなって心地よい…かなり良い声。どこかで聞いたことがあるような…。あぁ……、NAGI様の声に似てるんだ…。)

「ねぇ、千夏さん、大丈夫?」

自己紹介もまだなのに、何故か千夏の名前を呼ぶ彼。

「…お兄さん、何で私の名前知ってるんですかぁ?やっと見つけたってなんか怪しい…。ストーカーですか?うふふっ。」

「あ…そうか、今はわからないか。とりあえず、俺の飲みかけで悪いけどお水飲みなよ。そんで、ストーカーじゃないから安心して。」

「ストーカーじゃないなら、なんれ(で)私を探してたんれ(で)すかぁー?」

「はぁーー……。『探してた』はあいつらを追い払うための口実だから。たまたま1人で歩いてる千夏さんが目に入ったと思ったら、あんな奴らに囲まれてるから焦ったよ…。」

溜め息をつきながら助けてくれた男性は呂律の回らない千夏を近くの遊歩道にあるベンチに連れて行きベンチに座らせると、黒のボディバッグからペットボトルを取り出して飲ませた。千夏は喉を通る水が気持ちよくてふわふわした気分に身を任せ、目を閉じながら『ありがとうごら(ざ)います。』とお礼を言い、ペットボトルを彼のお腹に押し当てるように返した。しかし、酔っているせいでうまく渡せない。

「あー…。もぉ。しっかりして!じゃないと俺がお持ち帰りしちゃうよ。」

「お兄さんの声、私の好きな人にそっくり♥だから持ち帰っていいですよ~ん。なぁあんてね(笑)」

「千夏さんの好きな人…?」

『好きな人』というワードが出て男性の表情は曇る。

「さっきから何で私の名前しってるんですかー?お兄さんばかりズルいです。私にもお兄さんの名前教えてくださいよぉ!」

「えっ?俺は……。俺の名前は……(いずみ)?」

男性は少し間を置いてそう答えた。

「泉くんって言うんですね!泉くんの声私の好みです。その声だーい好き!顔は…前髪とメガネでよく見えないけど嫌な顔ではない!あははっ!」

酔った勢いで千夏はそのまま倒れるように泉に抱き着いた。

「はぁー…。まったく…。仕方ないなぁ、家まで送りますよ。」

自分の腹に巻きついている千夏の頭を優しく撫でながら言った。

「え?初めてあった泉さんには自宅は教えられないですよ~。」

千夏は泉の胸に埋もれたまま返事をする。

「じゃあ、どうしろって言うんだ…?」

「どうしましょ……。」

そういうと泉に抱き着いたまま千夏は無言になり動かなくなった。

「千夏さん?」

泉が呼びかけるが返事がない。

(あぁ…、ホントNAGIの声に似てる……。)

瞳を閉じて聞こえてくる泉の声が推しの声に思えて千夏は天国にいる気分だった。

「千夏さん?大丈夫ですか?」

(NAGIに呼ばれてる〜。幸せぇー…。)

「NAGIぃ〜……。むにゃむにゃ……。」

「ちょっと、千夏さん!」

泉は心配して何度も呼びかけて起こそうとしてみるが、千夏からはスースーと寝息だけが聞こえてきた。

「…つたく。千夏さんの警戒心どうなってんだよ…。」

どうしたら良いものかと泉は周りを見渡してみたが、治安的状況は先ほど千夏がナンパ男に囲まれた時と変わらない。彼が千夏のそばを離れれば、きっとあっという間に別の男たちが彼女の周りを囲み始めることは容易に想像が付いた。

「自宅を教えてくれない千夏さんが悪いんですからね。ここで1人で寝かせるなんてホント危ないんで、マジ持ち帰りますよ。」

泉は本人に許可を取るかのように言うと、千夏を抱きかかえて仕方なく自分の家へと向かった。
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