【コミカライズ原作】大正浪漫 斜陽のくちづけ
 妻の告白を聞き、やや複雑な気持ちになる。自分は凛子が思うような人間ではないからだ。

『まだ隠し事はありますか』

 以前、喜一のことを話したあと、凛子にそう尋ねられて、嘘をついた。
 凛子の知らない事実が一つ残っていた。

 あの日──凛子を連れて真一郎が去った日。

 凛子の父に「絶対に秘密を守る」という条件で頼まれた仕事がある。当時は政界とのパイプを作るために必死だったから、九条伯爵の頼みを二つ返事で受け入れた。

 連れ去られた娘を迎えに行くのに同行してくれということだった。駆け落ちなのか誘拐なのか定かではなかった。
 娘さえ無事なら、男の生死は問わないと、そう言った。
 なにか危険があるなら助けてやりたい。

 こんな事件に巻き込まれるとは信じられなかった。
 場所は、東京から一時間ほどのところにある九条家の別荘だった。鍵を使い中に入ると、昏々と眠る凛子を発見した。

 あの天真爛漫な少女が自ら死を望むとは思えなかった。
 おそらく思いつめた男に無理やり道連れにされたのだろうと思った。
 あとから聞いた話では、睡眠薬を多量に飲んでいたらしい。

「娘を早く病院へ頼む」

 そう頼まれ、眠り続ける少女を抱いて山を降りた。九条伯爵は男を探すと言った。

 その後のことは詳しく聞いていないが真一郎が死んだことを知った。九条伯爵からは、凛子より多く薬を服用していたようだと聞いている。

 身体が無事だとしてもこの先、凛子が無傷で済むとは思えなかった。予想通り、凛子には長い苦難が待っていた。

 あとから調べたことだが、真一郎は、九条伯爵が弟の妻を手籠めにしてできてしまった子らしかった。

 そのせいで、女は自死。弟は一家離散。陰惨な話だ。
 屋敷を訪れるたびに、閉ざされたカーテンの向こう側にいる彼女を想像した。

 いつまでも下らない中傷を避けるために、世間の目に触れずに暮らす凛子が不憫だった。
 始めて会った時、柔らかな笑みを浮かべ差し出された一朶の桜の枝を思い出す。

 自分自身、泥にまみれて生きてきたからこそ、清廉なものに惹かれたのだろう。

 あの笑顔がもう一度見たい。
 なぜか強くそう思った。
 花は枯れても、思いが途切れることはなかった。

 凛子が世間と断絶している間にも、九条伯爵との仲を深めていった。金満家でなんでも頼まれたことは黙ってやる自分にやがて依存し、離れられなくなっていった。

 もはや相楽のほうが、九条伯爵の後ろ盾となった言ってもよい。
 娘を貰いたいと言った時は、さすがに戸惑ったようだが、断れるような状況ではもはやなかった。

 思い知ったのだろう。飼っているつもりが、いつのまにか立場が逆転していることに。
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