【コミカライズ原作】大正浪漫 斜陽のくちづけ
怪我も落ちついた頃、相楽は一人で九条家を訪れた。以前よりずっと白髪が増えた。知られてはならない秘密を抱える哀れな老人を鋭い目で見据える。
憐れみは感じなかった。
「あの日──真一郎さんを自殺に見せかけて殺したのは九条伯爵ですね」
懐に入れていた封筒を取り出して見せる。
「これが、市村の持ってきた書類です」
捜索隊に引き渡し、真一郎の遺書を警察より前に九条に渡した。
そこに書かれた文言。九条家の秘密。
『実の父に欺かれ、そうとは知らずに異父妹を愛してしまった。この身に流れる血が許せない。抗議するために全てを明かして死ぬ』という内容だった。
凛子には言わず、九条邸へと足を運んだ。誰にも聞かれたくない話だった。
九条伯爵は無言で目を通す。血の気が引いている。
「あの日──凛子を一緒に探してくれとおっしゃいましたね」
当時表に出せない仕事を九条伯爵から頼まれることが多かった。娘の駆け落ちなどという醜聞を表に出したくないのは当然だ。
「ああ」
「なぜあの場所にいるとわかったんですか」
凛子が姿を消した翌日、警察よりも早く現場に着いたのは相楽と凛子の父だった。
沈黙の中、推測した事実を述べる。
「真一郎くんは、心中するため凛子に睡眠薬を飲ませた。そのまま凛子を道連れに入水するつもりだったんでしょう。けれど、直前に思い止まった。そしてあなたに電話して凛子を引き取りに来るように言ったのではないですか」
なにせ内密の仕事だったから、細かいことは聞かなかった。
苦痛に満ちた顔。
市村とは違い、悪意に満ちた人間ではないからこそ、たちが悪いとさえ思う。
ここ数年で十年分は年を取ったように見える。白髪混じりの頭に顔には苦悩の証のような皺が刻まれている。
「君は口が堅いからね。他に頼める人がいなかった」
「俺は凛子だけを運んで別荘を出た。その後、真一郎さんはすでに亡くなっていたと聞いた。それもピストル自殺だと。警察にも不審に思った人間はいたようで、他殺で捜査すべきという意見もあったと聞いている」
凛子をすぐにでも病院へ運ぶため、男のほうは九条伯爵に任せたあとだった。
再びの沈黙。重苦しい空気だけが流れる。
扉が開く音がする。
聖子が立っていた。扉の外で入る機会を窺っていたのだろう。
「……相楽さん。父は体調が悪いの。これくらいにしてもらえるかしら」
「あいにくまだ話が終わりません」
「あなたは、どこまで知りたいの。私にも家を守る義務があります。あなたがなにかするというなら、考えます」
そのひんやりとした声は、いつも妻に対して優しい姉のそれとは異なった。
「どこまででも。凛子をこれ以上傷つけたくない。それだけだ」
「ならば利害は一致しています。妹を守るのに必要なのは沈黙──それだけですわ」
この家の狡猾な女主人の一面を初めて目の当たりにする。
言われたことを無視して話を続けた。
「真一郎くんは、あなたにとっても異父弟でしょう」
九条伯爵からしたら、娘と息子が将来を約束したことになる。己の身勝手さは差し置いて、反対するのは当然だ。
「あなたが去ったあと、真一郎さんは父に銃を向けた。そして銃が暴発する事故が起きたの。私も夫もあらぬ噂が立たぬよう、凛子を世間の目から隠し守ることにしたのです」
真相も知らずに、自分のせいで家族を不幸にしたと思いつめていた凛子の顔を思い出す。
「事故だというのか。無理がある。始めから息子だと認めていれば、悲劇は起きなかったはずだ」
真一郎は九条伯爵の手で殺されたのだ。少なくとも相楽にはそれが真実に思える。
一つ狂った歯車は、九条家を巻き込んで大きな悲劇を生んだ。
「想像力が豊かだこと。一代で財を成しただけあるわ。あなたは探偵になってもきっと成功したでしょうね」
聖子の剣呑な物言いに、腹の底から笑いがこみ上げてくる。
「はっ。なにが華族だ。体面だ。望まぬ子供を作った挙句の果てに、自分で殺して証拠隠滅までするとは。俺にはとても理解できないね」
「君には世話になった」
黙り込んでいた九条伯爵が弱弱しい声を出す。
「どんな汚い過去があろうと構わない。実の息子を体面のために殺してようが、今さら蒸し返す気はない──だが凛子をこれ以上犠牲にするなら、どんな手を使ってもあなた方を破滅に追いやるからそのつもりで」
無言のままの聖子と九条伯爵に軽蔑の眼差しを向け、さっと部屋を出る。
今さら凛子が真相を全て知っても余計に苦しむだけだ。それにもう過去など忘れてほしい。
「言っておくが、自決なんぞしたら許さない。あんたは残りの人生で自分の罪と向き合うべきだ」
この家の汚泥を凛子がこれ以上被る必要などない。
秘密は墓場まで持っていくべきだ。
憐れみは感じなかった。
「あの日──真一郎さんを自殺に見せかけて殺したのは九条伯爵ですね」
懐に入れていた封筒を取り出して見せる。
「これが、市村の持ってきた書類です」
捜索隊に引き渡し、真一郎の遺書を警察より前に九条に渡した。
そこに書かれた文言。九条家の秘密。
『実の父に欺かれ、そうとは知らずに異父妹を愛してしまった。この身に流れる血が許せない。抗議するために全てを明かして死ぬ』という内容だった。
凛子には言わず、九条邸へと足を運んだ。誰にも聞かれたくない話だった。
九条伯爵は無言で目を通す。血の気が引いている。
「あの日──凛子を一緒に探してくれとおっしゃいましたね」
当時表に出せない仕事を九条伯爵から頼まれることが多かった。娘の駆け落ちなどという醜聞を表に出したくないのは当然だ。
「ああ」
「なぜあの場所にいるとわかったんですか」
凛子が姿を消した翌日、警察よりも早く現場に着いたのは相楽と凛子の父だった。
沈黙の中、推測した事実を述べる。
「真一郎くんは、心中するため凛子に睡眠薬を飲ませた。そのまま凛子を道連れに入水するつもりだったんでしょう。けれど、直前に思い止まった。そしてあなたに電話して凛子を引き取りに来るように言ったのではないですか」
なにせ内密の仕事だったから、細かいことは聞かなかった。
苦痛に満ちた顔。
市村とは違い、悪意に満ちた人間ではないからこそ、たちが悪いとさえ思う。
ここ数年で十年分は年を取ったように見える。白髪混じりの頭に顔には苦悩の証のような皺が刻まれている。
「君は口が堅いからね。他に頼める人がいなかった」
「俺は凛子だけを運んで別荘を出た。その後、真一郎さんはすでに亡くなっていたと聞いた。それもピストル自殺だと。警察にも不審に思った人間はいたようで、他殺で捜査すべきという意見もあったと聞いている」
凛子をすぐにでも病院へ運ぶため、男のほうは九条伯爵に任せたあとだった。
再びの沈黙。重苦しい空気だけが流れる。
扉が開く音がする。
聖子が立っていた。扉の外で入る機会を窺っていたのだろう。
「……相楽さん。父は体調が悪いの。これくらいにしてもらえるかしら」
「あいにくまだ話が終わりません」
「あなたは、どこまで知りたいの。私にも家を守る義務があります。あなたがなにかするというなら、考えます」
そのひんやりとした声は、いつも妻に対して優しい姉のそれとは異なった。
「どこまででも。凛子をこれ以上傷つけたくない。それだけだ」
「ならば利害は一致しています。妹を守るのに必要なのは沈黙──それだけですわ」
この家の狡猾な女主人の一面を初めて目の当たりにする。
言われたことを無視して話を続けた。
「真一郎くんは、あなたにとっても異父弟でしょう」
九条伯爵からしたら、娘と息子が将来を約束したことになる。己の身勝手さは差し置いて、反対するのは当然だ。
「あなたが去ったあと、真一郎さんは父に銃を向けた。そして銃が暴発する事故が起きたの。私も夫もあらぬ噂が立たぬよう、凛子を世間の目から隠し守ることにしたのです」
真相も知らずに、自分のせいで家族を不幸にしたと思いつめていた凛子の顔を思い出す。
「事故だというのか。無理がある。始めから息子だと認めていれば、悲劇は起きなかったはずだ」
真一郎は九条伯爵の手で殺されたのだ。少なくとも相楽にはそれが真実に思える。
一つ狂った歯車は、九条家を巻き込んで大きな悲劇を生んだ。
「想像力が豊かだこと。一代で財を成しただけあるわ。あなたは探偵になってもきっと成功したでしょうね」
聖子の剣呑な物言いに、腹の底から笑いがこみ上げてくる。
「はっ。なにが華族だ。体面だ。望まぬ子供を作った挙句の果てに、自分で殺して証拠隠滅までするとは。俺にはとても理解できないね」
「君には世話になった」
黙り込んでいた九条伯爵が弱弱しい声を出す。
「どんな汚い過去があろうと構わない。実の息子を体面のために殺してようが、今さら蒸し返す気はない──だが凛子をこれ以上犠牲にするなら、どんな手を使ってもあなた方を破滅に追いやるからそのつもりで」
無言のままの聖子と九条伯爵に軽蔑の眼差しを向け、さっと部屋を出る。
今さら凛子が真相を全て知っても余計に苦しむだけだ。それにもう過去など忘れてほしい。
「言っておくが、自決なんぞしたら許さない。あんたは残りの人生で自分の罪と向き合うべきだ」
この家の汚泥を凛子がこれ以上被る必要などない。
秘密は墓場まで持っていくべきだ。