禁断×契約×偽装×策略
 お見合いの相手と言われ、雪乃の顔に明確な怒りが灯った。

「飯塚先生は会社の弁護士なんでしょう? どうして奥様の命令で運転席なんかするんですか?」
「私は宇條家の顧問弁護士です。奥様はクライアントファミリーですから、指示に従うのは当然のことです」
「なら私もクライアントファミリーの一人ですから、指示に従ってください。帰ります。出してください」

 飯塚の顔を見ないようにしているが、視界の端には入っている。困ったような顔をしているけれど、運転席に戻ろうとはしなかった。

(どう説得するか悩んでるんだろうけど、絶対行かないから!)

 だが、雪乃の思惑は意外な形で崩れた。ふいに現れた男が車に乗り込んできたのだ。そして体ごと雪乃に向けて笑いかけた。

「はじめまして、雪乃さん。斉木です」
「え」
「上で待っていても来ないんじゃないかと思いましてね、ここで待つことにしたんですよ。案の定、ゴネて降りてこないから、そろそろ登場の頃合いかな、とね」

 雪乃はフンと顔を背けた。

「私はお見合いなんてする気はありません」
「お見合い? おや、少々食い違ってますね」
「とぼけても無駄です。奥様――宇條京香と結託して私を追い出そうとしているのでしょ。その手には乗りません」

 斉木はさも可笑しいといった具合に笑い、雪乃に左手に自らのそれを重ねた。

「触らないでください」
「僕は宇條貴哉君が手掛けている、とあるプロジェクトに投資しているんだ」
「え?」
「それもかなりの額をね。夫人は息子の成功のために、君を僕に嫁がせようとしているんじゃないかな」

 無言で見つめる雪乃を見返し、斉木はますます笑みを深めた。

「君は宇條社長の娘だろ? だったら結婚して宇條家から離れる。その行き先が息子の将来を明るくすることは、母親として当然の期待じゃないかな? どう? もう少し僕と話をする気になった? 大学生ももう充分大人だ。弁護士先生をあんなところに立たせないで、大人の対応をしたらどうかな」

 たっぷりの嫌味を混ぜながらの斉木の言葉に、雪乃は奥歯を噛みしめた。

「わかりました。部屋で話を伺います」

 雪乃は自ら扉をあけて車から降りた。そして飯塚に顔を向ける。だが、雪乃よりも早く、斉木が彼に声をかけた。

「帰りは僕が責任をもって送ります。飯塚先生は行ってください」
「ですが」
「お忙しい弁護士先生の手をこれ以上煩わせるのは心苦しいので。では、失礼します」

 斉木は軽く会釈し、雪乃を促して歩き始める。雪乃は心底嫌だったが、仕方がないと意を決して彼に追随したのだった。


 同時刻――宇條物産、専務室。

 RRRRRR……

 スマートフォンが鳴り、貴哉はパソコンの画面から視線を動かした。スマートフォンの画面には各務響子の名前が表示されている。今日、屋敷に詰めているのは各務なので、雪乃の事での連絡だろう。

「もしもし」
『各務です。カメラは御覧になりましたか?』
「いや、朝から会議でさっき席に戻ってきたところだ。屋敷から出たようだが」
『雪乃様のお部屋にハウスキーパーが訪ねて、そのまま外出されました。運転は飯塚先生です』
「飯塚?」

『はい。そのハウスキーパーになにがあったか尋ねましたが、濁して答えませんでした。ずいぶん慌てて出て行かれたので、おそらく社長か専務が倒れたとでも言ったのでしょう。先週、奥様が雪乃様の部屋を訪ねておられますし、なにか企んでいることは明白かと』

 貴哉は、はあ、と息を吐きだし、右手で額を覆った。

「わかった。そちらのことは引き続き頼む」
『なにかわかれば、すぐにご連絡いたします』

 通話が切れた。

「まったく腹立たしい。こっちは八つ裂きにしてやりたいほど怒っているってのに、それがわからないなんて愚かにもほどがある」

 貴哉は右手をグッと握りしめた。

「父さんが止めるから我慢してるんだ」

 バン、と大きな音が執務室に響く。貴哉は机に叩きつけた拳を震わせ、歯を食いしばった。

 RR、RR、RR……

 また電話のコール音が響く。今度はスマートフォンではなく執務机に置かれている会社の電話機だ。短く繰り返されるので内線である。

「宇條だ」
吉沢(よしざわ)です。受付から連絡があり、夫人がお見えになっているとのことでして』
「はあ? あ、いや、すまない。社長は出張中だ。知ってるはずだが」
『専務に御用とのことです』
「俺に?」

 嫌な予感しかしない。貴哉は顔を顰めた。追い返せ、と言いたいところだが、雪乃が出かけている最中だ。おそらく京香の仕業だろう。このタイミングを狙って訪ねてくるのだから、雪乃の件と関係しているはずだ。貴哉は腹の底に力がこもるのを感じた。

「わかった、通してくれ」
『かしこまりました』

 受話器を置いてイライラする自分をなんとか立て直そうとする。

 綾子が亡くなってから今日まで腹立たしいことの連続で、大声で叫んで物に八つ当たりしたい衝動をずっとこらえていた。だから京香と二人きりになるのを避けてきたのだ。自分が怒りに任せてなにをするかわからなかったから。

(ヤバいな、吉沢にはここに留まってもらうほうがいいかもしれない。が、恥を晒すのも……はあ。本当に、死んでくれないかな、あの疫病神)

 自分の母を掴まえて、死を望むとか、疫病神だとか思ってしまう自分も大概だと、またしても大きなため息をつく。

 コンコン、とノック音がした。

「どうぞ」

 扉が開いて姿を見せたのは京香一人だった。

(邪魔だと追い払ったのか)

 京香は当たり前のような顔をして部屋に入ってきて、面談用のソファに腰を下ろした。

「お茶はいらないわ。秘書に用意させる必要はないから」
「…………」

 いちいち腹立たしい。貴哉は立ち上がってソファに向かい、京香の目の前に腰を下ろした。

「雪乃さんに縁談を用意したの。今、その人と会っていると思うわ」
「……なんだって!?」
「で、あなたにも用意したのよ。雪乃さんの相手は私が考えたけど、あなたの相手はお祖父様が厳選してくださったから感謝してほしいものだわ」

 言いつつ、京香はハンドバッグから封筒を取り出し、ローテーブルに置いた。表には『釣書』と書かれている。

「冗談だろ」
「お祖父様がこんな冗談を言うと思うの? お相手があるのに」
「断る」
「お祖父様の顔に泥を塗るの?」
「なんでも祖父さんの名を出せば通ると思うな」

 京香は続けてハンドバッグからタバコを取り出した。火をつけるとメンソールの香りが紫煙とともに広がる。

「思っているわ。佐上(さがみ)洋司郎(ようじろう)の名前がどれだけ影響力を持っているのか、あなたはよく知っているはずよ」
「…………」
「お祖父様の顔に泥を塗るということは、あの人の顔に泥を塗るということよ? あなた、自分の父親が親戚内で立場を悪くすることを望んでいるの?」
「宇條家の金が欲しいのはそっちじゃないか。言っておくが、俺は間違っても佐上の言いなりにはならないし、金も流さないからな」

 フゥっと京香が煙をふく。勢いよく流れた煙はすぐにその勢いを失くしてゆっくりと周囲に漂い始めた。

「あなたが私や実家を嫌っても、あなたの子どもが同じだとは限らないでしょ」
「なんだって!?」
「子どもは母親を大事にするものだから、あなたの子はあなたの妻を大事にするでしょう。なぜかあなたは母親につれないけど」
「…………」
「でもまぁ、嫌な相手と無理やり結婚させられる不愉快さは、誰よりも私が知っていることよ。無理強いなんてしないわ。でも、お祖父様が骨を折った手前、会わずに断るというのはマズいわね。一度だけ会って、すぐにタイプじゃないと断ればいいわよ」

 貴哉が睨むと、京香は微笑みながらタバコを灰皿に押しつけて消した。

「私がお祖父様の言いなりのお人形だなんて思わないでちょうだいよ。あなたが会ってから断れば、いくらお祖父様が怒っても、仕方ないと収めるくらいするわ」
「…………」
「それでも嫌だ、会わない、と言うなら、遠山雪乃を抹殺する手は緩めない」
「刑務所に行く覚悟なのか?」
「私が捕まらなければいいだけの話でしょ。どうするの?」
「雪乃の安全と引き換えに、俺に見合いをさせようってわけだ、交換条件ってことで」
「その表現、いいわね。その通りだわ」
「わかった。だがすぐに断る。俺が直接祖父さんに伝える。母さんは雪乃から手を引け。交換条件だ」

 京香はすっと立ち上がり、専務室から出て行ったのだった。


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