禁断×契約×偽装×策略
 高級ホテルのスイートルーム。そこに案内され、雪乃は広い部屋に置かれている革張りのソファに腰を下ろした。

 待つことしばし。ノック音が響いてスタッフがルームサービスを運んできた。全くもって準備がいい。ガラスのローテーブルにケーキとティーカップが置かれ、芳しい香りが漂う。

「どうぞ」
「お話を伺います」
「せっかちだね。せっかくのお茶とケーキなんだから食べたら? 毒なんか入っていないって」

 雪乃が無言でじっと見つめるものだから、斉木は苦笑を浮かべて肩を少しすくめた。

「たとえ愛人との間に生まれたとしても、宇條実康の娘に違いはない。こちらはつながりができることはありがたいのでね。夫人から話をもらった時は素直に喜んだよ。だから喜んでお受けしたいんだが、君はどう?」

「どう、とは?」
「前向きなのかと思ってね」
「ぜんぜん、前向きじゃありません」

 雪乃がきっぱりと言い切ると、斉木は軽快な笑い声をあげた。

「なるほど。それは残念だ。だけど、さっきも言った通り、僕は宇條貴哉専務の立ち上げたプロジェクトに投資している。成功させたいと思わないかい?」
「どんなプロジェクトなんですか?」

「多額の負債を抱えて倒産したリゾート観光会社を買い取り、生まれ変わらせるというものだ。宇條グループはリゾート業の会社なのに、親会社の名前に『物産』とついていて、まるで商社みたいな印象を与える。面白いと思っていたら、このプロジェクトで声をかけてもらって、ぜひにと参加した。夫人が僕に目をつけたのはこういう事情からだと思う。継子(けいし)を嫁がせて、息子の資金源を盤石にしたいとね」

 雪乃はそっと視線をテーブルに落とした。そして顔を上げることなく、うつむき加減で返事を始める。

「私は愛人の娘だから奥さまに嫌われています。ですけど、父と兄とはうまくやっています」
「なんの話?」
「兄は奥様のことをよく思っていません。だから奥様となれ合っていても宇條の旨味は吸えないし、むしろ兄に嫌われてやりにくいと思います」

 ズバリ核心を述べると、斉木の肩がわずかに跳ねた。

「すごいことをいきなり言うね」
「こちらが本気であることを知ってもらいたいだけです。私と結婚したとして、どんな利益を約束してもらったんですか?」
「約束なんてしていないよ。普通に考えて、宇條家の縁戚になる、これに限るだろ」

 雪乃はここでようやく顔を上げた。そして臆することなくまっすぐ斉木を見つめる。気弱そうな、あるいはそう聞いていたかもしれない、そんな娘がきつい目つきで堂々と見返してきて驚いたのだろう。

「取り引きしませんか?」
「取り引き?」
「ええ。このままでは私と結婚したって宇條京佳の下僕でしょ? 私と手を組めば、父や兄に口添えしてさしあげます。どうですか?」

 斉木の眉間にしわが刻まれ、目元が鋭くなる。それでも雪乃は変わらず睨み続ける。わずかな時間、二人は言葉を発することなく睨み合った。

 沈黙を破ったのは斉木のほうだった。

「なにが目的だ」
「宇條京佳の弱みを知りたい。証拠があったらありがたいです」
「あの女に嫌われているから?」
「憎まれているからです。油断したら本当に消されてしまいそうで。加担したら、斉木さん、あなたも同罪で地獄行きかもしれませんよ?」

 また沈黙が落ちた。ジリジリとした肌を刺すような時間が過ぎていく。まるで先に動いたほうが負けのような。だが、口を開いたのは、今回も斉木だった。

「なんだよ、話がぜんぜん違うじゃないか。おとなしい内向きな小娘だって言うから、てっきりそうなんだと思ったが」
「おあいにく様ですね。私も命の危険があるとなると、おとなしくなんてできないもので」

 虚勢だ。しかも精いっぱいの。本当はたまらなく怖い。初めて会った者に、こんな口を利くなど今まで一度もない。むしろ境遇を気にして避けてきた。だが、ここで舐められるわけにはないかない。できればイニシアチブを取りたい。

「なかなか面白い女だ。確かに君が言うように、あの高慢ちきな女に恩を売られ続けるのは面倒だ。だが、君があの愛想のない男とうまくやっているってのを信じるのもどうかと思うところだよ」
「愛想のない?」
「ああ。大金を預けてやろうってのに、ニコリともしないからな。まぁ、男に愛想を振られても嬉しいわけじゃないけどね」

 雪乃、無言で鞄からスマホを取り出し、コールを始めた。斎木はそれを、虚を突かれたような表情で見ている。

「もしもし、貴哉さん? 私よ。GPSで私の居場所は把握しているでしょ? 今、斉木さんとおっしゃるファンド会社の人と話をしているの。ビジネスの話よ。愛人の娘である私と、貴哉さんがうまくやっているのかどうか、信じられないそうなの。来てもらえない? 事と次第によっては、私たちに協力してくれるそうだから」

 斉木が両眼を大きく見開いてこちらを凝視している。その顔は驚きを刻んでいるが、目にはわずかな怒りがあった。

 雪乃はスマートフォンを切ると、鞄に戻した。

「すぐに来るそうです」
「…………」


 貴哉が来るまでの時間、雪乃はあえて斉木と会話することを拒否した。もちろん印象を悪化させるわけにはいかないので、口頭でそう伝えたわけではない。顔を窓の外に向け、東京の景色を眺めていた。

 斉木は最初、無言で雪乃の様子を窺っていたが、会話をする気がないと察し、タブレットを取り出してそれを見ていた。

 そして、扉がノックされた。斉木が立ちあがって向かう。扉を開けると、貴哉が部屋の中に駆け込んできた。

「雪乃!」
「貴哉さん!」

 しっかり抱きしめあう。

「大丈夫か!? なにもされなかったか?」

 うんうん、と雪乃は何度もうなずいた。そこへあきれ顔の斎木がやってきた。

「ディスカッションする必要がなくなったな。君ら、腹違いだろ。しかも本妻の息子と愛人の娘だ。それはおかしいんじゃないのか?」

 指摘され、雪乃の顔が赤く染まる。一方、貴哉は斉木を鋭く睨みつけている。斉木の苦笑は深まるばかりだ。

「だけど、君が言ったことはよくわかった。取り引きしようじゃないか」
「取り引き?」

 雪乃より先に貴哉が反応した。

「奥様の指示のもとで宇條グループを牛耳ろうとする一味を演じてもらい、裏で情報を流してもらうという取り引きです」
「え?」
「私が縁談を受け入れたら奥様は油断するでしょ? 自分の配下にいると信じている斉木さんが情報を流しいてくれることは、我々にとって、とても大きな利となりますから」

 雪乃の意図を理解し、貴哉の目が大きく見開かれた。そしてつんざくような声で怒鳴った。

「ダメだ! そんなこと許さない!」
「どうしてだい」

 じっと見返す雪乃。質問したのは斉木だった。

「僕との縁談が破談になっても、夫人はまた別の人間を用意する。夫人に言われたが、僕のほかにも政治家の次男坊を検討しているそうだし。そっちに行かれたら面倒なんじゃないか?」
「どういう意味だ」
「僕は僕止まりだ。夫人が僕を候補に挙げたのは、金だからね。だけど政治家の息子となると、なにかで揉めたら親が出てくる」
「金で絞られるか、利権を奪われるかってことか」
「候補の条件はね。だけど、それは裏を返せば、裏切る時も僕のほうは僕次第だってことだ」

 斉木は意味深に笑った。

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