【重愛注意】拾われバニーガールはヤンデレ社長の最愛の秘書になりました 1

御劔佑

 とはいえ、今は仕事が面白いし、同じく男っ気のない親友とも「このまま二人とも独身なら、いつかシェアハウスに住もうか」という話を、冗談半分にしている。
 性欲はそれほどある方でもなく、恋人がいなければいないでいいかな、と思っていた。

(でも結婚願望は一応あるから、変な焦りがあるんだよなぁ……)

 八谷と福島に気付かれないよう溜め息をつき、香澄はすすきののシンボルとも言える、ヒゲのおじさんをステンドグラス風に表したネオンを見上げる。

(いやいや、まだ三十路まで時間があるし、何か出会いがあると信じよう)

 自分に言い聞かせ、香澄はまず今の接待を成功させる事に集中した。

 例のネオンのあるビル内に『Bow tie club』はあり、香澄はエレベーターのボタンを押した。
 最上階までゴンドラが上がりドアが左右に開いた先には、『Bow tie club』の贅を凝らした空間が広がっていた。

 落ち着いたブラウンの壁には、立体的なロゴで『Bow tie club』と描かれ間接照明でライトアップされている。
 その前に店長の星沢(ほしざわ)が立っていて、香澄と二人の姿を見ると「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」と慇懃に挨拶をした。
 コートを預けて中に入ると、窓の向こうにはすすきの交差点のネオンがあり、店内は金色のシャンデリアに照らされたムードのある空間になっている。
 丁度グランドピアノの生演奏の時間帯で、契約している女性ピアニストがドレスを纏って雰囲気のいい曲を奏でていた。

 席は〝島〟になるように作られていて、黒い革張りのソファセットに白い大理石のテーブルがワンセットになっている。
 客と客とのプライバシーは、植物が植えられた仕切りや、その日すすきのの花屋で注文した花などで守られている。

 ここが異世界に思えるのは、やはり接客するキャストがバニーガールの格好をしている点にある。

 黒いビスチェに首元には黒い蝶ネクタイ。黒いジャケットに、お尻にはスナップボタンでつけられる尻尾。脚が長く見えるためのハイレグからは、網タイツに包まれた脚が覗いている。
 頭にはもちろんうさ耳カチューシャをつけていて、歩くたびに針金で支えの作られたそれがユラユラ揺れる。
 靴は十センチメートルのヒールで、そんな高いヒールを履ける彼女たちを香澄は尊敬していた。

「お席をご用意してあります。どうぞこちらへ」

 タキシードを着た店長に誘われ、二人は店の奥に向かう。

「私は店の様子を見て参りますので、後ほどテーブルに窺います」

 八谷と福島に告げ、香澄はまずマネージャーとしての仕事をこなす事にした。
 一般的な店なら店長に様子を聞いて終わりだが、ここは上客たちが集まる場なので、テーブル一つ一つに挨拶をしてゆく。

 そのため、香澄は派手ではないものの清潔感のあるメイクを心がけ、髪もマネージャーとして相応しく見えるようなまとめ髪にしていた。
 決してクラブのママのように派手な髪ではないし、就活生のように色気のない一本縛りやひっつめお団子でもない。
 その塩梅が、社会人として、マネージャーとして難しいので、日々髪型も勉強だ。

「本日はご来店ありがとうございます。マネージャーの赤松と申します。当店は如何でしょうか? 何か不都合はございませんでしょうか?」

 香澄はお決まりの言葉を口にしながら、一番テーブルから順番にまわってゆく。

 と、その挨拶回りの途中で、テーブルについている若い男性を見て「ん?」となった。

 基本的に『Bow tie club』に来る客たちは、少なくとも四十代後半以上が多い。
 そんな中、〝彼〟は三十代そこそこに見え、おまけにとんでもない美形なので浮いて見えたのだ。

(あれっ? 見た事あるんだけど、誰だったっけ?)

〝彼〟はとても見覚えのある顔で、香澄は絶対名前を知っているはずだった。

 日本人よりやや白い肌は、彼の体に白人の血が流れているのを物語っている。目の色や髪の色も薄く、常人離れした美を醸し出していた。
 座っていても身長が高いのは分かるし、高級そうなスーツを纏った体も鍛えているのかガッシリしている。

 そこまで一般人とは異なる――最早モデルと言っていい体型と美貌を兼ね揃えている彼を、香澄は確実に知っているつもりだった。
 けれど芸能人や教科書に載っている偉人の名前のように、顔は分かっているのに名前が一致しない。

 笑顔のまま焦って冷や汗を浮かべていると、同じテーブルにいる年上の男性がにこやかに返事をしてきた。

「あぁ、赤松さん。今日も可愛いね。君も御劔(みつるぎ)社長を見て、目がハートになってしまったタイプかい?」
「あっ……」

 御劔、と言われて香澄はすぐに理解した。

 パリコレにもコレクションを出しているCEPのデザイナー兼経営者、そして香澄も世話になる事がある大手アパレルブランドChief Everyの社長だ。
 その他にも手広く事業を広げていて、世界の長者番付に名を連ねていると、どこかで聞きかじった気がする。

(そんな大物がどうして……。あ、いや、紹介か)

 同席している客は時々東京から来るイベント会社の社長で、彼の関係者だと思えば頷ける。

「初めまして、御劔さま。八谷グループ札幌支部のエリアマネージャー、赤松香澄と申します」

 いつものように営業スマイルを浮かべると、佑とばっちり目が合う。

(う……。まっすぐ見てくる人だな。しかも目の色が普通の人とちょっと違うから、目を合わせづらい……)

 札幌、特にすすきのは観光地なので、当然外国人の客を相手にする事もある。
 その時、青い瞳やブルーグレー、明るい茶色など、日本人の焦げ茶色ではない色を見ると、瞳孔が際立って見えて落ち着かない気持ちになった。
 いま佑に見られている感覚が、まさにそれに似ている。

 それでも香澄は微笑んでごまかしてから、キャストたちに不備はないかとそっと確認する。

(うん! 問題ないか!)

 テーブルについている二人のバニーガールは、それこそ先ほど言われたように目をハート……とまではいかないが、うっとりさせ、いつもよりワントーン高い声で佑に話し掛けている。

(ベテランのバニーさんでも、御劔社長には敵わないか……。イケメン凄いな)

 香澄も勿論彼の事を格好いいと思うが、その前に大切なお客様だ。

(それはそうと、話し掛けたんだから返事ぐらい……)

 佑は相変わらず香澄を凝視していて、ほぼ固まっていると言っていい。

「……あの? 何かスタッフに至らない事でもありましたでしょうか?」

 香澄が再度話し掛けると、佑はハッとして取り繕う笑いを浮かべた。

「あまりにマネージャーさんが魅力的なので、見とれてしまいました」
「あはは、またまた。お上手ですね。そういう事はキャストに言ってあげてください。きっと喜びますよ」

 サラリと受け流すと、彼の笑顔からスッと何らかの感情が抜けたのが分かった。

(よし、引き時)

「夜はまだ始まったばかりですから、どうぞ当店をお楽しみください」

 最後にダメ押しと言わんばかりに満面の笑みを浮かべ、しゃがんでいた香澄は立ち上がり、次のテーブルに向かった。

 移動している間、佑がまだ自分を見ている気がする。
 気になったまま挨拶を終え、さらに次のテーブルに移動する時にチラッと振り向くと、ばっちりと佑と目が合ってしまった。

(何なの……!)

 何かまずい事でもしただろうかと、全身に嫌な汗が浮かんでくる。
 この店に来る客たちは誰も彼も社会的地位のある人なので、何か一つでも対応を間違えたらおしまいだ。

(ヤバイヤバイ、何事も起こりませんように)

 心の中で神様に手を合わせ、香澄はすべてのテーブルをまわったあと、八谷の元に向かった。
 店内はそれほど広い訳ではないが、各テーブルで丁寧な挨拶をしていたため、すべてが終わる頃には三十分ほど経っていた。
 八谷と福島のテーブルまで行くと、福島はこの短時間で相当酒が進んでいるようで、ガハハと豪快な笑い声が聞こえる。

「失礼致します。福島様、お楽しみのようで何よりです」

 床に膝をつき微笑みかけると、福島は機嫌の良さそうな目を香澄に向ける。
 今日のミッションはこれで無事に終わりそうだな、と思っていた時――。

「君……、赤松くんは二十六歳だっけ?」
「え、ええ。今日で二十七になります」
「なんだ、二十代半ばともいえなくなってしまったな。じゃあ記念に、僕の前でバニーガールになってもらえないか?」
「……え?」

 香澄は笑顔のまま、ピキーンと固まった。

(……何を言ってるんだろう。この方は……)

 思考が停止し、福島の要望を理解できない。
 そもそも、何が「じゃあ記念に」なのかも分からない。

「だってこれからあと数年で三十歳になるなら、もうバニーガールとかコスプレも恥ずかしくてできなくなるだろう? まだ二十代と言えるうちに、色々やっておくべきだ。八谷さんもそう思うでしょう? この子も八谷グループの社員なら、アルバイトと同じようにバニーガールになってもいいですよね?」

 赤ら顔になって社長に同意を求める福島は、完全に酔っ払っているようだった。
 それほど酔っていない八谷は、困った様子でどう福島を宥めたものかと苦笑いしている。

 八谷が福島を見て、困っているのを香澄はすぐに察した。
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