大江戸ガーディアンズ
与太たちは寺の僧侶たちが住まう庫裡に逃れ、しばらくその軒先で雨宿りをすることとなった。
「……結構、降ってきゃぁがったな」
濡れた身を手拭いで拭きながら多平は云った。
片肌脱いだその背中には、色鮮やかな昇り龍が彫られていた。
昨年倅が生まれた多平は、今度はその昇り龍の背に乗る我が子の姿を模して彫ろうと思いを巡らせている。
一方、まだまだ新入りの久作も、彫り師に纏持ちの火消しの図を描いてもらい、早速背中に縁取りの墨を入れ始めた。
それらの「見せ場」は何と云っても「祭」の日だ。
与太ら伝馬町の若衆は地元の天王祭はもちろんのこと、神田明神のお祭りでも日吉山王権現のお祭りでも山車を引く。
さような折には、双肌脱いで尻っぱしょりをした男たちの背中いっぱいに色とりどりに描かれた彫り物が、祭りの見物客たちの目を大いに楽しませた。
先般、御公儀の老中首座・松平 越中守(松平定信)によって石川島に設けられた加役方人足寄場では、其処に入れられた咎人たちに生涯消えぬ入墨が為されていた。
だが、黒一色の「入墨」とは異なり、さまざまな色を施す「彫り物」にさような後ろめたきことはない。
さればこそ、鳶の者たちはこぞって我が背中に墨を入れて彩るのである。
されども——与太は違った。
日々お天道様の下で働いているため、肌の色は浅黒く日焼けてはいるが、その背中は彫り物どころか傷一つない、誠に綺麗なものであった。