隣の家の渡邊君はイケメン俳優やってます。

一月四日(ⅰ)

 なんか、目の前に、いるんだけど。

 私は目の前にいるっていうか、ある、こちらを向いているその顔をマジマジ見た。なんだ、これ。なんで?
 目の前に男の顔がある。目を瞑っている。近くで見ても頭小さいわ、まつ毛長いわ、鼻高いわ、肌綺麗だわ、なんだこりゃ。

 私は体を起こして座る。……どうしてくれよう。
 見ているとゆっくり目が開いた。

「……おはよう、咲歩ちゃん」

 董也は微笑みながら言った。シーツの上の茶色がかった髪が揺れ、ベット上方にある小窓からの陽の光がその髪と優しげな笑みを照らした。
 ……ドラマかよ、ってね。

「おはよう。で?」
「朝から怖いよ? 咲歩ちゃん」
「…………」

 私は無言で董也の片耳を引っ張った。

「いたっ、いたいってば。ごめんなさい」
「ごめんじゃないわよ!」

 そう言って董也の毛布を思いっきり剥がした。が、抵抗にあって取り戻される。

「ひどい、寒いじゃん。てか今朝寒くない? 暖房つけない? 咲歩ちゃんもお布団入ったら? 寒くない?」
「他に言うことは?」

 私はエアコンの暖房をつけてから、近くに置いてあった上着を羽織った。

「だってさ、昨日の夜も寒かったんだもん」

 もう一回耳を引っ張ってやった。

「イタタ、誓ってなんにもしてないよ。あったかいところに引き寄せられただけで」
「あんたは猫か!」
「ごめんってば」それから董也がボソッと付け足した。「……ごめんね。本当に寒くて、なんか寂しくなっちゃったんだよ」

 あ、やば、今、胸の奥が動いた。腹立ちが消える。ほんと言うとそんなもの、わざわざ作り出しているだけだって自覚してるし。
 嫌、でも待って。コイツ役者だから。嘘つくの仕事だから。猫だから。尻尾振ってるワンコと一緒だから。董也だから。えーと……。

 私が顔をしかめたまま次の言葉を言えないでいると、彼がクスクス笑い出した。

「?!」

 やがて仰向けになって楽しそうに笑い出す。

「あんたねーー!」

 あーーー!!!やっぱ腹立つわーー!!

「いや、だって、咲歩ちゃん可愛い」
「いつからこんな性格悪くなった!」
「許して。もう十分へこんでるから」
「何の事よ!」
「だって、咲歩ちゃん怒ってるかもしれないけど全然動じてないんだもん。へこむでしょ」

 そんなことは、ないよ。ないけどさ。いちいち動揺する心臓は持ち合わせてないのよ。そのほうがダメージ大きくなるから。

「董也が今更そばにいたってなんだってのよ」
「ほら、ひどいじゃん」

 私は冷たい視線を送ってやった。全く、人の気も知らないで。

「あーあ、馬鹿馬鹿しい。連休最後の朝だってのに」
「明日から仕事?」
「うん」

 私は自分の言葉でそのことに直面してため息が出た。そうだった、明日から仕事だった。あーあ。

「……まあいいや、コーヒーでも飲もう。董也もいる?」

 彼に背を向けて聞く。スウェット着て寝てるから着替えはいいけど靴下は履こう、寒い。当たり前だけど冬だなあ。

「うん、ねえ、あのさ、褒めてくれない? 咲歩ちゃん」

 ベットに腰を下ろしたまま、もこもこした靴下を履いていると後ろから董也が言った。

「は?」

 私は履きかけのまま董也を振り返る。

「褒めて」
「この状況でどこにあんたを褒める要素があるの?」
「僕さ、今夜から仕事なんだよ」
「あ、そうなんだ。頑張れ」

 夜から仕事ってのは会社勤めしている私にはよくわからない状況だけど、何か大変だよね。

「うん、でね、次に丸っと一日休み取れるのいつかわからないんだよね。下手したら来年かも」
「え、まじ?」
「うん、去年より忙しくなるはずだから。ならないと不味いんだけど」
「あーそうなんだあ。大変だね……」
「楽しみではあるんだけどね。だからさ、何ていうの? 頑張ったねって先に褒めておいて欲しいなって」

 よくわからないけど、それくらいの事で頑張れるなら、するけど。

「そんな事でいいなら……」

 董也は毛布にまだくるまったまま、見上げてくる。私はわざと少々乱暴なくらいに彼の頭を撫でた。

「よしよし、頑張ったね」

 ……我ながらいいのか、これで?

 董也は笑った。

「ありがとう、咲歩ちゃん」
「うん……でも、頑張りすぎちゃうのも心配だけどね。なかなか難しいんだろうけど」

 痩せ細ってた時あったしなあ。

「体調管理は気をつけるよ」
「うん」そうだよね、プロだもんね。「まあ、私も気が向いたら新番組見るよ」
「え、本当?」

 董也は腕で支えながら乗り出すように上半身を起こすと、嬉しそうな顔をした。

「あ、えっと、まあ、気が向いたらだよ」
「うん。でも期待しとくね、ありがとう」

 そう言うと再び布団にくるまって顔をベッドに埋めた。

「あー、向こう一年分の元気でた」
「そんな?」 

 大袈裟じゃないでしょうか?

「そんなだよ」

 くぐもった声。

 私は董也の後頭部を見ながらちょっと申し訳ない気持ちになった。
 今まで見ないの悪かったかな、でも恋愛ドラマとか興味ないし時間もないし。でも今回は見ようかな。私の前ではこんなんだけど、きっと絶対、凄く大変な事もあるだろうし、頑張っているのだと思う。

 よし。私の手、なかなか冷たいな、うん。

 彼の後ろ頸に手を置いた。董也が一瞬びくついた気がする。昨日のお返しだもんね。ついでにもう一回、髪をわしゃわしゃしてやった。

「いい子いい子」
「……咲歩ちゃん、嬉しいけど、やめて」

 董也はうつ伏せのまま言う。笑いが溢れてくる。

「さ、コーヒー飲むか。ついでに何か食べてく? 昨日パン屋さんで買い込んだの。クロワッサンとかいろいろ」

 背を向けて靴下履く。

「食べる……」

 振り向くとうつ伏せのまま、まだ起きる気配がない。

「じゃあ、起きろー」

 耳のそばで言ってやる。

「……下の部屋あったまってコーヒー入ったら呼んで」
「もうっ」

 何で私がそこまで甘やかさないといけないんだ? と、思ったけど、まあ、いいや。しばらく会う事もないし。

 董也を残したまま、私は上機嫌で部屋を出た。
 
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